ソフトな行動規範と行動変容を私たちは生み出すべき?
最後に、読者に考えてもらうための材料として、AIと持続可能性に関する倫理学的な論点をいくつか示したいと思います。考えてみてください。
まず先述のサム・アルトマンの話が本当であるなら、AIの無駄な利用はできるだけ差し控えるべきということになるでしょうか。たとえば自分の顔画像をアニメ風にしてと生成AIに頼んで喜んでいる場合ではないのかもしません。エアコンの適切な温度設定での利用が一種の行動コードとして社会で流通しているのと同じように、法による規制ほど厳格ではない、ソフトな行動規範と行動変容を私たちは生み出すべきでしょうか。
このような考え方に対しては、技術の発展によるAIの効率化を通じた解決が本筋だという反論が考えられます。このような立場を技術的解決主義と呼ぶことにしましょう。近年のAIの目をみはる発展を前提とすれば、十分に説得力のある立場です。しかし技術的解決主義に対しては、効率化は利用増をもたらし、かえって環境負荷の増大がもたらされるというリバウンド効果の懸念が指摘されるでしょう。多くの環境問題に共通することですが、個々人の行動によって生じる悪影響は無視できるほど小さく、また悪影響が即座に目に見えるかたちで生じるわけでないため、責任を認識しにくいという問題もあります。AIの利用によって得られる恩恵と、それがもたらす環境負荷とを切り離す(デカップリングする)方法を考える必要があります。
研究者や開発企業の側についても考えてみましょう。AI開発コミュニティが正確性を基準としてきたことがカーボンフットプリントなどの環境負荷の増大につながっているという指摘があります。しかし、個々の開発者が価値観を転換し、高性能を目指した開発競争から降りる動機づけを持つとは期待できないように思われます。自分がやめても、他が続けるだけだからです。だとすると、たとえば自動車業界全体に対して環境規制をかけるのと同じように、AI開発コミュニティ全体を対象とした規制が必要なのでしょうか。
最後に、気候変動は止められないのだから、そんなことは気にせずにAIの開発と利用から最大限の利益を得るべきだという、極端な主張もあります。残念ながら気候変動の問題の現状を考えると、このような主張も一定の説得力を持つかもしれません。これに対する反論は可能でしょうか。持続可能性のためのAI研究の意義を、私たちはもっと認識すべきかもしれません。