“2つの世界”の往来で「わけわからんくなっちゃうんです」

 もちろん、「1の世界」のエキストラに囲まれ、「1の世界」の事件を解決しなければ帰れない状況では、津田も随時「1の世界」の住人になりきる必要がある。しかし、そのときも周囲には「2の世界」で仕事をしている番組スタッフが存在している。電気イスゲームの収録という「2の世界」から、継ぎ目なく「1の世界」の名探偵津田がはじまることもある。

 このように「1の世界」と「2の世界」がシームレスに折り重なり、越境するなかで、津田は混乱をきたす。番組側が基本的には周到に、場面によっては敢えて雑に貼り合わせた世界の境目で、津田は壊れかける。

「次元の境目がちょっとね、わけわからんくなっちゃうんですよ。だからいま僕どこの何でやってんのかわかんないです」(同前)

『水曜日のダウンタウン』12月24日放送回予告より

津田に感じるおかしみに含まれる、共感と開放感

 一見すると、複雑で特殊な話に見えるかもしれない。マスメディアで生きる芸能人ならではの混乱にも見える。

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 しかし、「2の世界」を素の自分でいる世界、「1の世界」を社会的に求められる役割を務める世界と言い換えれば、私たちの多くも同じ状況を生きているのではないだろうか。

 私たちは、その2つの世界を時に器用に、時にぎこちなく切り替え、つなぎ、折り合いをつけながら生きている。「1の世界」が理不尽に感じられることもある。「2の世界」の感情が顔を出そうとすることもある。けれど、その感情をコントロールしつつ、「1の世界」で求められる役割をまっとうしようとする。

 世界線の混乱が津田の許容量を超える。圧縮された「嫌々々々々々!」が一気にあふれ出す。そんな津田の姿は、まず何よりおもしろい。笑ってしまう。と同時に、感情を剥き出しにする津田に私たちが感じるおかしみには、共感、もっと言えば解放感も含まれているのかもしれない。社会生活を送るなかで多くの人が「お約束」を守って隠し合っているものの噴出。そんな、ある種の「事件」の瞬間に立ち会っている感覚。

見たいのは「津田という事件」

 だからこそ、私たちは名探偵津田から目が離せない。単に事件を解決する津田を見たいのではない。津田という事件を見たいのだ。

 ただの探偵は現場に赴く。ただの名探偵は、いる場所が事件現場になる。しかし、名探偵津田は、彼自身が事件となる。さあ、事件の一部始終を見届けよう。