2018年6月、東海道新幹線の車内で乗客3人がナタで殺傷された事件。犯人の小島一朗は、逮捕直後から「刑務所に入りたい」と供述し、世間を震撼させた。彼があまりに独りよがりな犯行に及んだのはなぜなのか。
ここでは、犯人に接触した写真家、文筆家のインベカヲリ★氏の著書『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』(角川新書)の一部を抜粋。小島との往復書簡から見えてきた、その不可解な思考回路と歪んだ願望について紹介する。
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権利のための闘争
拘置所は、裁判で判決が下される前の「未決囚」が勾留される場所だ。刑務所とは違い、制限はあるものの差し入れは自由にできる。そのため取材の過程で、被告人から差し入れを求められることは珍しくない。
報道によると、小島は逮捕直後に会いに来た親族に対しても、面会を拒否している。外部からの接触を絶っているということは、生活必需品にも乏しいはずだ。必要最低限の服は拘置所でも支給されるが、たいていは古着で、サイズが合わないこともざらにある。こうした被告人には、衣類やタオル、甘いお菓子などを差し入れすると大変に喜ばれるものだ。
そう思っていたが、小島が求めてきたものは、そのどれでもなく岩波文庫だった。『枕草子』、『今昔物語集』全四冊、『徒然草』、『方丈記』。暇を持て余して本や雑誌が欲しくなる心理はわかるが、古典を読むとはどういう神経なのか。仮に一般社会であっても、ヌード写真に激高し、古典を嗜む若者はそういない。しかも無差別殺傷犯だ。小島の人物像はあまりにも摑みにくい。
指定された本を購入して送ると、少しは気を許したのか、またすぐに返事が届いた。
小島は私を警戒しつつも、やはり何か伝えたいことがあるのだろう。全体像は見えないものの、妙に情報を小出しにしてくる。
「私はこの事件を『むしゃくしゃしてやった』のですが、何にむしゃくしゃしたのかは調書にしていないのです。私はその件について黙秘し続けましたが、この件をどうにかするために動きすぎているので、警察は知っているし取り調べにおいては何にむしゃくしゃしたかは認めています。が、調書にはしていないのです」(2019年1月21日)
まさか、犯人の供述によく出てくる「むしゃくしゃしてやった」の「むしゃくしゃ」に犯行動機としての中身があるということなのか。しかも、それは調書にしていないという。ということは、もちろんニュースにもなっていない。一体どういうことなのか。
