懲役75年――。レイプ犯として有罪判決を受けた20歳の青年は、無実を訴え続けながら30年を獄中で過ごした。再審請求は退けられ、仮釈放の条件である「罪の自白」も拒否。だが時代の進歩が運命を変える。DNA鑑定が暴いたのは、司法が見落とし続けた決定的な矛盾だった。新刊『世界で起きた恐怖の冤罪ミステリー35』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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懲役は…
その後、ダラスのサウスウェスト法医学研究所がレイプキット検査を行い、被害女性の膣から精子を検出する。が、その血液型は判明せず、デュプリーとマシンギルが犯人であることを特定するまでには至らない。ちなみに、当時はまだDNA検査は開発されていなかった。
1980年6月からダラス郡刑事地方裁判所で始まった公判で両被告は明確に事件の関与を否定したが、検察側の証人として出廷した被害者2人は両被告を犯人と特定する。被害男性によれば、警察で写真を見せられた際は近視用のメガネをかけていなかったため、特定に至らなかったという。
同月25日、陪審員が下した判決は有罪。デュプリーに懲役75年、マシンギルは1979年11月30日の強姦強盗事件でも有罪判決を受け終身刑を言い渡される。こうして服役することになったデュプリーは獄中でも無罪を訴え、人身保護令状の請求を3度申し立てたが、いずれも再審請求は却下された。仮釈放を受けるには罪を認め、性犯罪者向けのプログラムに参加する必要があったのだが、彼はこれを頑なに拒否した。
