文中の大山康晴十五世とは、昭和の将棋界に君臨した大名人のことだ。大崎が1982年に将棋連盟に就職したときには会長職にあった。
《まだ24、5歳の洟垂れ小僧だった私はいつも大山に怒られてばかりだった。
私の人生に於いて最上級に恐ろしい存在、その大山が頻繁に夢に現れる。
不思議な感覚だった》(『渚にて』より)
『渚にて』は大崎が入院中に大学ノートに残したメモを元に、私小説の形をとって書いた遺作であり、絶筆である。死後に妻の和がパソコン内にあったファイルから見つけた。一部脚色はあるが、闘病生活をリアルに描写したものだ。
タイトルからは、死を前にしながらも海辺の散策を楽しむような響きがある。病棟での日々を少しコミカルに風刺したのは、作家として自身の最期を笑って見送ってほしい気持ちがあったのではないか。
病院に行ったその日に緊急手術
《紹介された病院には自宅から自分で車を運転して向かった。
不安はもちろんあったけれど、どうでもいいやという気持ちもあった。半年も声が出ていないのだから、何か問題はあるのだろう。それを調べてもらえればいい。
(中略)
採血とレントゲン撮影を終えて4階へ。
その結果をにらみながら女医がこぼした言葉にのけぞりそうになった。
「ご家族はいらっしゃいますか?」
こっくり。
「すぐに連絡してください。あっそうか。電話はできませんものね。では携帯を貸してください。私がかわりにかけます」
きびきびとした男っぽい雰囲気の女医で、マスクの上で光る瞳は大きく、きらきらと輝いている。鴨を見つけた漁師のように私からは見えた。
「どうしてですか?」と私は紙に書いた。
「うーん。実はねあなたは今、とても危険な状態なんです」
キケン?
「はい。喉の奥が相当につぶれていて、声どころか息もできなくなりつつある。喉には気管と食道が通っていますがそれが使い分けられないような状態で、空気が胃に入ってしまって、肺には半分くらいしか届いていない。逆に食べたものが肺に入りいわゆる誤嚥のような状態になっています。肺炎を起こしかけているかもしれない」
放って置くと?
「窒息するかもしれません」
えっ?
「肺に運ばれる酸素の量がどんどん減っていって、意識混濁するかも。だから急いで喉に穴をあけて空気の通り道をつくります。その手術が必要です」
いつ?
「今からです」
一度目をつむった。
一瞬だった。
そして腹を決めて女医に携帯を渡した》(『渚にて』より)



