大崎と和が並んで座り、机を挟んで医師がモニターを見ながら話し始めた。摘出した癌細胞の数は94個もあったという。

「普通はどれくらいですか?」

 和が尋ねると、医師は「大体20個前後です」と答えた。それを聞いた和は自分自身が想像もしなかった衝動に襲われる。

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 声をあげて泣いていた。

 彼女が大崎の前で涙を見せたのは、この一度だけだった。

思い通りのシナリオだった

《どんなにつらく苦しい宣告も受け入れた。
 

 死がすぐ間近にあることも受け入れた。


 明るく死んでいこうとどこかで心を決めていた。自分に降りかかった治らない病気という運命を悲嘆するのではなく堂々と受け入れるのだ。


 美和が雨宮のありのままの宣告を受けて思わず泣きだした日。


 その姿を見た瞬間、私は心に誓った。


 自分は絶対に病気のことでは泣かない。
 

 どんなに苦しくても悔しくても泣かない。
 

 嘆いたり怒ったり感情的になったり絶望したりしない。
 

 そんな姿を美和には見せない。
 

 淡々と死んでいこう。
 

 64歳まで生きてきてそれが最後の仕事だ》(『渚にて』より)

 文中に美和とあるのは妻の和のことである。大崎は手術後に「もう書きたいことはない。それに今まで書いた作品を汚すことはしたくない」という意思を示したが、体力の回復とともに創作意欲が戻ってきたようだ。和は生きることと書くことは、小説家にとっては繋がっているのだと感じた。

©野澤亘伸

「『淡々と死んでいこう』という言葉通り、病気に対して怒りも不安もなく対峙していました。ただ、それが最後の仕事だと言われると、切なくなりますね」

『渚にて』では死ぬまで作家であり続けた自分を書き残したかったのだろう。笑わせてこそのダンディズムを感じるが、どこか少しの強がりも漂う。惜しくも未完に終わったが、和は「大崎の最期は思い通りのシナリオだったと思う」と話す。

 亡くなる前夜に愛する者たちと再会した。痩せ細った体に残された命を燃え上がらせ、喜びの頂点に立った。そして翌日の朝に、自宅のトイレに座ったまま、力尽きて亡くなっていたそうである。まるで『あしたのジョー』のラストシーンのような姿で。

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次の記事に続く 読み上げ時間は20分近くになった。“重い病の淵”にあった作家が藤井聡太八冠に「声なき祝辞」を捧げるまで

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