「でも『ブス』って言われた時にね…」
生まれながらの健康優良児、体が縦にも横にも大きかった私は、よく親戚にそのことを揶揄われ、みんなが集まるお正月が本当に嫌でした。悔しいから新年会でやる百人一首の下の句全部覚えていとこたちには一枚たりとも札を取らせなかった。それでも彼らは言うのです。「デブのくせに」「ブスのくせに」。そんなことを思い出していました。
「でも『ブス』って言われた時にね、『あんた、そんな人のこと言えんの?』ってもうひとりの私が怒ってくれる。『絶対あの人もコンプレックス持ってるはずやし。そういう人ほど言いたがるのよ』って私を慰めてもくれる。もうひとりのよしみが出てきて、よう怒ってくれるんですよ。そんなんしてたら時間が惜しい、そんなん悩むことないって。そうやって私を守ってきてくれたんで」
なぜあの時、ブスだのデブだの言ってきた相手ではなく、自分を責めてしまったのだろうと、時々思うことがあります。なぜ怒ることができなかったのか。反発することができなかったのか。ルッキズムなんて言葉はなかった時代、私は私のことを守れず、見殺しにしてしまった。その後悔と懺悔が「HANAを守りたい」という気持ちに向かわせているような気がするのです。
あの時守れなかった自分のことを、今度こそ守ってあげたい
HANAの動画のコメントに「この子太くない?」みたいなコメントがつくと、光の速さで反撃するファンがいらっしゃる。もちろん言論は自由。批判や批評があってこそのエンタメです。ただわかるんです。このコメントをメンバーに見て欲しくない。なぜならそこにはかつての小さな自分がいるから。膝を抱えた暗い自分が。あの時守れなかった自分のことを、今度こそ守ってあげたい。中年女性の「育て直し」とはそういうことでした。天童さんを長年守ってきた「もうひとりのよしみ」に、私はなりたい。もうひとりのHANAに。中年女性とは、そう防人です。がんばってる若い子を守りたい。海は死にますか、山は死にますか。いいえHANAは死にません。
あの日ステージで「自分が嫌いだった」と言ったCHIKAの言葉には続きがあります。
「でも今仲間に出会えて、みなさんに出会えました。ありがとう、あなたが自信をくれました」「そしてここからが私たちの番、あなたのNOのために戦う」
天童さんはルッキズムに苦しめられながら、でも天童さんの歌の素晴らしさを知ってくれるファンに支えられ(「天童よしみを紅白に!」という嘆願書まで作っていたつよつよファンダム)、1996年に名曲『珍島物語』に出会い空前の大ヒットを記録、その後連続して紅白に出場し続けています。天童よしみとHANA、実ボと実ボが相まみえる今年の紅白は、たぶんRIZINより「超強者祭り」の予感がするのです。
「美人」(作詞:ちゃんみな・作曲:ちゃんみな、Ryosuke“Dr.R”Sakai)




