「都会の喧騒があると、なにかと紛れやすいから…」池袋で引っ越しを繰り返しながらの逃亡生活

――ずっと池袋で逃亡生活を。

梶原 何度も引っ越しはしましたが、池袋から離れることはありませんでした。母の地元が池袋の東口側で、土地勘があったんです。それと、当時住んでいた平和通り商店街のあたりは非常に雑多な雰囲気で、ヤクザや外国人の方が多く住んでいたんですよ。

 そうした場所の方が、かえって目立たないだろうという判断もあったようです。都会の喧騒があると、なにかと紛れやすいですからね。

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――生まれたのも池袋ですか。

梶原 はい、池袋の病院です。母は未婚の母として私を産みました。誰の子かわからないけど妊娠してしまった、という体で。当時の池袋では、そういう境遇の人は珍しくなかったと思います。

 

――お母様のご実家はバーを経営されていたとか。

梶原 祖母が新宿でバーをやっていたのもあって、母も私も池袋や新宿あたりが生活圏でした。後に祖母は、伊豆に移って置屋を営むようになるんですけど。

――東武東上線沿線の北池袋や下板橋あたりを転々とされていたようですね。

梶原 そうです。そのエリアをぐるぐると引っ越していました。

小学6年生まで父親の名前を知らず、「あいつ」呼ばわりだった

――物心がついてから、自分の家庭が「普通ではない」と感じることはありましたか。

梶原 あの頃は、それが当たり前だったので、わかっていませんでしたね。本にも出てきますけど、私の友達の方が、家が貧しくて悲惨な状況だったりしたので、「みんな大変だなあ」と思っていたくらいで。

――家にいる男性のことを、お父さんだと認識していましたか。

梶原 それが、微妙なところで。母が時々、さっきの元カレ、父の先輩俳優の話を楽しそうにするんですよ。母も、父との生活に嫌気がさすことがあったんでしょうね。「なんで私の人生、こうなっちゃったんだろう」って。

 だから、その話を聞いていると「あれ? もしかして、嬉しそうに話している元カレが本当のお父さんなんじゃないか」と勝手に想像していました。

 

――「じゃあ、家にいる男性は一体誰なんだ?」と。小学6年生まで名前も知らず、「あいつ」呼ばわりだったそうですが。

梶原 もしこの人が父親じゃなかったら、こんな他人のせいで私たちが迷惑を被っているのはたまったもんじゃないなとは思っていました。だから、どこか自分と似ているところはないかと、必死に探しました。

 手や耳の形とか、部分的でもいいからちょっとでも似ていないかなって。「鼻の形が同じかな?」とか、共通点を見つけようと頑張ってはいましたね。