絶頂が一瞬で暗転「ユーミンが羨ましくて」

 それがみごと100万枚を超える大ヒットに。74年のNHK紅白歌合戦への出場も叶った。となればフォークシンガーとして一段上のステージに行けたと、おそらく武田さんも思っただろう。ところが時代の波は武田さんたちを置き去りにしていく。

「私の分析ですけど、学生運動の熱が冷めていくとともに、反抗と旅立ちをテーマにしたフォークブームが急速に落ちていくんです。代わりに台頭してきたのが、センスのいい、ニューミュージックのシンガーソングライター。そのトップランナーがユーミンですよ。

 彼女は旅立ちの歌なんて作らない。おうちに帰る歌ですよ。帰還と物語の歌。『中央フリーウェイ』はその最たるもので、中央自動車道を八王子にある自宅に向けて走っている風景を描くわけですよね。調布基地なんて言ったらわれわれにとっては反米運動と直結するんだけど、彼女にとっては帰り道の目印でしかない。

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 そして中央道が滑走路に見えるというんだから、そんな言葉、田舎もんからはでてこない(笑)。衝撃を受けたのは、同志だと思っていた団塊の世代800万人が洒落たニューミュージックに一気に流れていったこと。今だから正直に言いますけど、ユーミンもそうですし、ニューミュージックの人たちが羨ましくて」

松任谷由実を筆頭に、ニューミュージックの人たちが羨ましくて仕方なかったと振り返る ©三宅史郎/文藝春秋

妻と皿洗いで糊口をしのいだことも

 紅白出場のわずか半年後には、絶頂期ならば1000人は入ったホールに10人単位の観客しか入らなくなった。

「真っ逆さまですよね。芸能界は怖いです。生活もキツい。12万円ぐらいの給料をもらっていたけど、当時住んでいた代々木八幡のアパートの家賃が4万~5万円でしょ。都内に実家があって家賃がかからないニューミュージックの人とは違うんですよ。

 しかたなく結婚して間もない妻と居酒屋で皿洗いをしたこともありましたね。地方の神社のイベントなんかに行って食いつないだりもしました。東北の喫茶店に入って次にくる夜行列車を待っていたら、ユーミンの歌が流れているんですよ。この人がヒットするようじゃ、自分たちはダメだと思いましたね」