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「今年は、お年玉はナシ」
それでも一年に一度だけ、新聞を運ぶのを心待ちにしている日があった。それは、正月元旦。内線電話がビーと鳴れば、兄弟四人が先を争って寝室へ駆けつける。もちろん狙いは、お年玉。カーテンも乾布摩擦も、四人で分担すれば、作業はあっという間に片付く。やるだけやったら、兄弟は一列に親父の前に並ぶ。
「今年は、お年玉はナシ」。そんな親父の冗談にも、この日ばかりは僕等は動じない。前夜、母の鏡台に伸晃、良純、宏高、延啓と一人一人の名前が書かれたお年玉袋を確認済みなのだから。
「良純君、おめでとう」。皆の前で一人ずつ名前を呼ばれて、お年玉は手渡される。のし袋に筆で書かれた、左利ききの親父独特の文字。冬晴れの空の下、キラキラと輝く逗子の入り江。それは、新年にふさわしい、神聖な儀式のようにも思えた。
だが、あのお年玉袋の大きさだけは、今思い出しても腹が立つ。どう見ても、兄貴のだけ大きなお札が入っていたに違いない。年齢に応じて四段階というのなら、それでも結構。ではなぜ、僕と弟達は同じ大きさの袋だったのか。“長男の親父”と“長男の兄貴”。二人はグルだ。これを次男のひがみと言うなかれ。長男とその他の兄弟を区別する、長男優遇の生活習慣は、昔も今も石原家には歴然と存在している。
