なぜ外国人の比率が高いのか?
ちなみに芝園団地、車両工場のあたりは蕨市ではなく川口市。現在まで、蕨市も川口市も、新幹線は駅どころか通過すらもしていない。
そしてこの車両工場跡の団地は、中国人をはじめとする外国人の多さでも知られている。というか、蕨駅の周辺は川口市内ともども外国人の比率が高い。もともとは工業地帯であり、そうした町は人の出入りが必然的に多くなる。そうした歴史的な背景が、多くの外国人が受け入れられやすい風土につながったのだろうか。
もちろん、駅の近くの歓楽めいた繁華街もまた、工業地帯だったがゆえに生まれたものに違いない。
ともあれ、戦中・戦後の一時期に隆盛を誇った工業地帯としての蕨駅周辺。しかし、その大半は1970年代に移転してしまう。そうして跡地が団地やマンション、住宅地へと生まれ変わっていった。現在の、人口密度日本一の蕨市と蕨駅周辺の完成である。
さて、そんなわけで成人式だ。
戦後まもない時代の「成年式」
現代的な成人式のルーツは、1946年11月に蕨の小学校で開催された青年祭にあるという。ときは終戦直後の占領時代。なかなか未来への希望を見出しにくい世相の中で、蕨の青年団が若者を元気づけようと企画したのが青年祭だ。
その青年祭の催しのひとつとして行われたのが、「成年式」である。約100人の若者が参加した成年式は、埼玉県や国からも注目される。
そして1948年、1月15日が成人の日として祝日になり、正月明けのビッグイベント・成人式がはじまったのだ。
きっと、未来を担う世代を勇気づけた蕨の取り組みが高く評価されたのだろう。日本中、いまでも続く成人式は、敗戦に沈む埼玉の小さな工業都市からはじまった――。
そう思って、改めてわが町の成人式を振り返ってみれば、どうだろう。ただの同窓会的なイベントが、ちょっとは変わって見えてくるような……。
撮影=鼠入昌史
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