国境なき医師団(MSF)で看護師を務める白川優子さんには、忘れられない夫婦がいる。2010年、MSFの一員として初めて派遣されたスリランカ。多数派のシンハラ人と少数派のタミル人の内戦は終結したものの、激戦地だったタミル人地域には医療を求める難民が溢れていた。

 その地で、MSFとともに何年間もタミル人の難民の治療にあたっていた若い医師の夫婦に出会った。難民たちが慕い、敬っていたそのふたりは、シンハラ人だった。

「看護師として、人として心の底から尊敬しました」

ADVERTISEMENT

白川優子さん

 MSFは、1971年にフランスの医師が中心になって作られた非政府組織で、紛争地や自然災害の被害を受けた地域などで中立的な立場で医療・人道援助を行う。

 7歳の時、テレビでMSFの存在を知った白川さんが、本気でMSFを目指すようになったのは26歳、看護師3年目の99年。MSFがノーベル平和賞を受賞したのを知り、「私も厳しい環境で医療を求めている人を救いたい」と思い、一歩を踏み出した。

 しかし、MSFで働くには英語力が必須。そこで一念発起し、オーストラリアで英語を学び、現地の看護師の資格を取得して4年間、働いた。

 そこで十分な語学力とスキルを身に着け、10年に帰国。一発合格で念願のMSFに加わってから、スリランカを皮切りに出動した回数は17回。イラク、シリア、イエメン、南スーダン、ガザ地区など紛争地がほとんどだ。