遊廓は単に性を売るだけの場所ではなく、男たちの「恋心」を巧みに操る場所でもあった。 一晩の夢に溺れ、公金を横領して破滅する男。娘を売ったその足で、別の娼妓を抱きに来る父親……。人間の欲望がむき出しになる町では、いったいどのような人が行き交っていたのか。ノンフィクション作家の澤宮優氏による『かつてこの町に巨大遊廓があった 熊本・二本木の歴史と記憶をたずねて』(忘羊社)の一部を抜粋し、紹介する。

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「恋心」を商った

 遊廓は単に女性が肉体をひさいでいたところではなく、いわば恋心という人間心理そのものを商っていた場所だった。

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 性的行為のみに、いったい誰が城まで投げうってつぎこむだろうか。遊女にそのことを強いたのが吉原の本質ではなかったろうか…吉原の本当にこわいところは、この「心」そのものを商売にしたところではないのか(斎藤慎一『明治吉原細見記』)

 逆に、もし娼妓が恋に落ちれば多くの場合、悲劇が待っていた。それを「心をはずす」という。金を介した擬似的な男女関係、恋と肉欲のすれすれの境界で遊ぶのが遊廓だった。だが、娼妓の巧言を真に受けて身を滅ぼす男は珍しくなかった。古来より、遊女を「傾城」と呼んだ所以である。

 役所勤めをしていた30過ぎのある男が、春の陽気に浮かれて日本亭に足を運んだ。謹厳実直な男はそれからというもの、相手をしてもらった娼妓のことばかり考えて仕事も手につかず、ついに金も底を尽いた。男はそれでも店に通い詰め、ついに数百円もの公金を横領してしまった。

 男は自分の罪を娼妓に打ち明け、「俺は罪を犯して熊本にはおられないから、俺と一緒によそに逃げてくれ」と涙を流して頼んだが、もとより娼妓にそのような気持ちはない。逃亡の日、彼女は店の帳場に駆け込んだ。横領も明るみになり、警察に連行されたという(「九州日日新聞」明治32年〈1899〉8月3日)。