娼妓が稲荷神社にお参りするのは、狐を祀ってあるからね。ここらでは高橋稲荷(熊本市西区上代。日本五大稲荷のひとつ)です。狐にあやかって男を多く騙せますようにという願いですね。ばってん男を手玉にとる女性はあまりおりません。男に騙されて、我が身が苦しくなるほうが多かった。

 お客を好いていると、お金を持っていなくてもただで泊まらせる娘もいました。自分が男の代わりに登楼代を払って。「そぎゃんこつしたらいけん。あんたの身の代(給金)が無くなってしまうよ」と注意しました。

 その娘は、結局男と夜逃げしました。しかし逃げてもやっぱり捕まります。大阪まで逃げて捕まった娘もいた。大阪に行っても、知らない顔だとすぐにばれます。絶対逃げられません。

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 捕まった娘は、一段と監視が厳しくなって自由に動くことができなくなる。外出しようとすれば、必ず仲居さんがついて行きます。

写真はイメージ ©AFLO

 私がここに来たころと、昭和33年(1958)の売春防止法のころで比べると、昔のほうが正直だった。煙草代とか借りても、すぐに返しに来ました。遊廓の最後のほうは、おどか娘が増えました。遊廓が終わった(廃業した)後は、たいてい旅館をしなさった。部屋が多かからね。

 うちの近くに長崎の島原から来ていた娘がおりました。子供が好きで、うちの子をかわいがってくれてねえ。よくお菓子を買ってくれました。

 彼女は16、7歳で売られてきましたが、利口者で、年取ってからは仲居をやっておった。よう働く娘でした。そんな子ですから、煙草を買いに来ても、「ちょっと上がんなさい」と言って、まぜごはんを食べさせたり。

現在の熊本駅すぐに位置する二本木(2026年撮影)©文藝春秋

 うちの婆さんが死んだときも、「お寺に手伝いにいかんといかんだろ。うちが行くよ」と店から4、5人連れてきて、手伝いをしてくれました。店を辞めて4、5年経って故郷に戻りました。もう70代くらいでしたねえ。最近までホテルの仲居をしていましたけど、そのホテルもよそに売られ、自分の出る幕はないからと言って故郷に帰りました。

 私は聞き役やったし、なだめ役。もう何もしたくないですな。ただしゃべるばっかりです。

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