あちこちに戦争の痕跡が…

 大隅松山駅のすぐ近くには芙蓉部隊通信司令部の塹壕跡があったり、県道沿いの林の斜面には傾斜を利用した兵員たちの宿舎跡があったり。

 
 

 大隅半島の山の中、敵からも見つかりにくく、それでいて沖縄にも近い。芙蓉部隊がこの場所に移ってきた1945年、もうとっくに志布志線は開通していた。

 

 兵隊や武器弾薬が志布志線で運ばれた、なんてこともあったのかもしれない。

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 戦争の痕跡を感じながら県道を歩き、周辺が少し町らしくなってきたら北に向かって坂を下り、菱田川沿いの廃線跡に戻る。このあたりはまるっと道路になっている。ゆるやかなカーブが、実に廃線跡らしい。

 
 

 だが、それと知らなければただの道。一筋南の県道63号線は岩川の町のメインストリートだ。

かつての駅まで到着したが…

 そんな中を進んでゆき、大隅合同庁舎の裏手あたりが岩川駅の跡である。大隅松山駅とは違って周辺はこちらのほうが賑やかだが、それと裏腹にホームも線路も、志布志線の痕跡は何も残っていなかった。

 

 少し先で、廃線跡の道路は菱田川を渡る。その橋は鉄道時代からのものなのか。ちょうどバスがやってきたので、再び乗り込んで次は末吉駅の跡を目指そう。

 1987年3月に廃止される直前、志布志線を走っていた列車は1日にたったの10往復だけだった。廃止の理由はもちろんお客が少ないから。つまり超のつくローカル線だったわけだ。

 だが、それでも中には主要駅というものがある。末吉駅などはまさに志布志線の主要駅だ。