この超ローカル線が誕生したワケ
なぜ大正期、比較的早い段階で県境を跨ぐ志布志線が開通したのか。実は、都城と大隅半島、中でも港湾都市の志布志は古くから強い結び付きがあったのだという。
いまでは宮崎県と鹿児島県に分かれてしまったが、江戸時代にはどちらも薩摩藩領だった。特に都城は、中世以来の島津氏“発祥の地”。志布志は島津領、薩摩藩の外港として賑わった。
つまり、都城と志布志は江戸時代どころかこの地で島津氏が勢力を伸ばしていた中世から切っても切れない関係だったのだ。
明治に入って県が分かれても、元からの強い結び付きはそうそう切れるものではない。近代以降、畜産が盛んになった都城では、志布志港を通じて飼料を輸入していたという。
都城と志布志の結び付きは、単なる精神的なものではなく、経済的にも大きな意味を持っていたのである。
県境を結んだ幻の路線
志布志線は、そうした歴史的背景の中で開業した路線なのだ。きっと、志布志線が開通すれば大隅半島の発展にも大いに資すると期待されたに違いない。
しかし、志布志線は1987年に廃止されてしまった。結び付きが弱まったのではなく、単にクルマ社会に移行してお客がいなくなったからだ。2025年には志布志線とほぼ並行する都城志布志道路も開通している。
志布志線という消えたローカル線は、県境を越えて1000年にわたって強く結ばれてきたふたつの町と町の歴史をほんの一時代、支えた存在だったのである。
撮影=鼠入昌史
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