だがそれが小原にとっては幸運だった。さっそく奪った現金で借金先に返済していく。返済に付き添ったのは、小原の愛人である小料理屋の女だった。
捜査陣は汚名返上とばかり、吉展ちゃんの父が録音した犯人からの電話をテレビ、ラジオで公開した。
今でもネットで聴くことができるが、良質の録音状態で小原の会話がキャッチされている。仕事の電話かと間違えそうになるほど、小原は淡々と話している。出身地福島県石川郡の訛りのまま。全国の市民たちが生まれて初めての犯人からの脅迫電話の録音テープを聴いた。そのなかに小原の弟がいた。肉親の直感で、脅迫主が自分の兄だと気づき、警察に届け出た。容疑者リストの上位にランキングされた小原は、文化放送の記者からも取材を受ける。
その時録音された小原の証言。
「残酷な……ということはまだ言えませんけど……」
「今まで死体が浮かばないとか」
すでに吉展ちゃんが殺害されていることを前提にした証言である。犯人の深層心理がつい言葉に出てしまったのだ。吉展ちゃんを誘拐し、現金と引き替えに靴を置く、というところで小原は吉展ちゃんの靴の特徴を「尾錠」という専門用語を口にした。時計修理工だった小原の知識がつい出てしまった。
犯人からの電話では40代~50代の中年男という犯人像だった。この時小原は30歳になったばかり。犯人の年齢層から外れていた。
容疑者リストからはずれるギリギリの段階での逮捕
事件が起きた昭和38年春、吉展ちゃんより2歳上の私は、小学1年生になったばかりだった。親から「知らない人についていっちゃダメ」とことある事に言われたものだ。吉展ちゃんと同じく、前髪を眉毛の上でそろえて切った坊ちゃん刈りをしていた。
捜査が行き詰まり、小原は残された最後の容疑者候補になっていた。微罪で逮捕され、前橋刑務所に収監されていた小原は、東京の所轄署に呼ばれた。
そこにいたのは平塚八兵衛刑事だった。警視庁はじまって以来の名刑事と呼ばれた平塚八兵衛は、許された10日間という期限で小原を自供させようとした。FBIの声紋鑑定に使用する肉声データの収録という目的のための別件捜査だった。
そしてついに八兵衛のアリバイ崩しで小原は自供した。あと1日、取り調べを乗り切れば、容疑者リストからはずれるギリギリの段階だった。