女性向け風俗「女風」は江戸時代の陰間がルーツ。出張ホストや逆ソープも登場したが、店舗型のハードルや男性セラピスト不足で流行せず短命に終わった。なぜ令和とは違い、平成の時代に女性用風俗は広まらなかったのか。

 その歴史を、ノンフィクションライター高木瑞穂氏の新刊『ルポ 風俗の誕生』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む

写真はイメージ ©getty

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 女風――いわずと知れた女性用風俗の略称である。男性セラピストが写真とメッセージを女風店のホームページに掲載してリラクゼーションや性的な満足を求める女性を募り、女性は好みのセラピストを選んで利用するのが一般的なシステムだ。

 コミックエッセイ『真・女性に風俗って必要ですか? ~女性用風俗店の裏方やったら人生いろいろ変わった件~』(ヤチナツ著/新潮社)が話題になり、のちにドラマ化されるなど、いま、女風が注目されている。その成り立ちを探った。

女風の先駆けは江戸時代に

 女風のはじまりは「陰間(かげま)」だといわれている。陰間は江戸時代、「陰間茶屋」と呼ばれる茶屋が斡旋する男娼であり、10~20歳前後の男性が男性を相手に売春をしていた。だがときを経て、次第に女性も相手にするようになった。

 ちなみに陰間は「表舞台に出ない役者」という意味を持つ「陰の間」が語源だ。江戸時代初期に盛んだった前髪をつけた少年が演じた歌舞伎「若衆歌舞伎」が禁止されたあと、舞台に立てない若衆歌舞伎の若手役者が売春をはじめたことからきている。

 女風のはしりである陰間は、現代になり派遣型の「出張ホスト」へと転じる。

 出張ホストは、ホストのアフターを商業化したもので、東京・渋谷にその1号店「ロッキー」は誕生する。

 ホテルニュージャパン火災が発生した、1982年のことだ。ホストは女性客が待つ自宅やホテルへ赴き、要望に応じてさまざまなサービスをする。

 当時の相場は120分2万円。このころ出張ホストは都内に約40軒あったという。

 ちなみにホストクラブは1965年、東京駅八重洲口前にオープンした「ナイト東京」がはじまりだ。前身は1964年に生まれた女性専用クラブで、社交ダンスが楽しめるキャバレーで働いていた男性ダンサーが、より収入を増やすため女性客を集めたのがきっかけではじまった業態だったという。

 ホストのアフターにしばしセックスが含まれるように、店外で女性とホストがふたりきりになれることを売りにした出張ホストは自然、性行為が主なサービスとなったのだ。2012年ごろには、出張ホストから派生して、「レンタル彼氏」なる恋人代行サービスも生まれた。だが、ここでは、明確に「女性用風俗」と掲げた店だけを対象にしたい。