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第一次世界大戦中の1916年9月、イギリス陸軍に入隊し、翌1917年4月に召集、第52ノッティンガムシャー・ダービーシャー連隊に歩兵として配属され、1918年4月にフランスへ。ここで信号手の任務に就くも、マスタードガス攻撃で負傷し軍病院で1ヶ月を過ごす。
クリスティは後に、この攻撃によって3年半の間、視力と言語能力を失い恒久的な影響を及ぼしたと主張しているが、これも周囲の注目を引きたくて仕方のない演技的パーソナリティ障害に依るものだったと言われている。
犯罪を繰り返す毎日
1919年10月に陸軍から除隊し、1920年5月、21歳のとき一つ年上のエセル・シンプソンと結婚。勃起不全は治らず、常習的に売春宿に通う。1921年1月からハリファクスで郵便配達員として働き始めるも、同年2月と3月に郵便為替窃盗を働き犯罪の道へ。以後10年間にわたり、詐欺や暴行などで何度も逮捕され、刑務所の内と外を出入りする。
そんな夫に愛想を尽かしたエセルは1924年に別居し、1人で働いていたが、1934年に出所後のクリスティに懇願され再び同居。あいかわらず売春宿通いは続けていたものの、犯罪には手を染めなくなり、1937年、後に犯行の舞台となるリリントンプレイス10番地のアパートに転居する。生活環境は劣悪で、住人は外にある1つのトイレを共有し、近くを走る列車の騒音に悩まされ続けた。