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元園児の衝撃的な証言
なんでも、「(事件当日)自分を含めた5人で浄化槽の近くで遊んでいた際に、マンホールの蓋を少し開け、それから横の方に動かして全部開けた。私がMさんの手を引っ張ったら浄化槽に落ちたので、5人でマンホールを閉めた。そのとき山田先生は現場にいなかった」というのだ。
マンホールを園児が複数で動かすことによって開け閉めができたことと、1人目の被害者が殺人事件ではなく事故であったとの供述が得られたことから同地裁は1985年10月17日、山田被告を含む3人に無罪判決を言い渡す。
検察は控訴したが…
検察はこれを不服として控訴。1990年(平成2年)3月23日、大阪高裁裁は「園児に対する口止め等の罪証隠滅の工作の有無や、アリバイ及びアリバイ工作の有無について証拠調べをしなかった原判決は、証拠の評価を誤ったうえに事実を誤認したもの」として一審判決を破棄し、神戸地裁へ差し戻す決定を下す。
1993年2月19日から神戸地裁で差し戻し審開始。ここで検察側はMさんが亡くなった経緯について「他の園児が関与していた可能性もあり得る」と初めて認めた。
そして1998年3月24日、神戸地裁は園児の証言と山田被告の自白について「被告が男児を連れ出したとする園児の証言や、被告の自白はいずれも信用できない」と認定したうえで「検察側の主張には疑問が多いうえ、アリバイの有無は、直接犯罪の証明にはつながらない」として再び無罪判決を言い渡した。