「償うこと」の難しさ

――そうして殺人にまで至る事件ですが、『償い』はその後の加害者たちが主題です。被害者の父親は、裁判で加害者に対して「一生をかけて償ってほしい」と言います。

山﨑 たとえばBは、「できるだけ償いたい」と裁判で述べます。けれども2004年に再び事件を起こした時、検事に「(コンクリ詰め殺人事件は)償ったのか?」と問われると、彼は「今思うと、(償ってきたとは)思いません」と答えます。

 そうした態度のBであっても、遺体の遺棄現場には何度か行ったと、彼の母親は僕の取材に答えています。それが事実なら(償いとは別に)被害者を悼む気持ちくらいはあったと思う。その感情を生涯、持ち続けていたかはわかりません。

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――たとえば、加害者が仏壇に手を合わせたいと言ってきても、家に来られるのは嫌な遺族もいるだろうし、同じ空気を吸いたくない遺族もいる。

山﨑 罪を償うというのは、実際、難しいことだと思います。誰が「償った」と判定するのかといえば、被害者や被害者遺族になる。ただ、被害感情も人それぞれです。僕は多くの被害者遺族を取材して来ました。遺族の中には、事件から早く立ち直りたいと思う方もいますし、「加害者には死んで欲しい」とずっと言い続ける方もいます。

 ある遺族は、刑事施設を出た後に月命日に毎月お参りに来る加害者に「君はもう償ったから、もう来なくていいよ」と言うんです。償いに、答えはないと思います。けれども、答えがないからといって、どうすれば償えるかを考えなくていいのかというと、そうではない。答えのないことを考え続けることが、償い続けるということなのではないでしょうか。この、続けるということが大事なんだと思いますね。

加害者が「償いの言葉」を持てるようになるには…

――同じく、被害者遺族の取材を続けているノンフィクションライターの藤井誠二氏の『贖罪』(集英社新書)に、被害者遺族は、加害者からの謝罪の手紙の表現が拙かったり、極端なまでの美辞麗句であったりすることで、かえって傷ついてしまうとあります。

山﨑 現在、「心情等伝達制度」というものがあります。これは2023年に始まったものですが、被害者やその遺族が、刑務所などの施設に収監されている加害者に対して、自分がどんな思いでいるのかを伝える制度です。それに対して加害者がどう思ったのかを聴取することもできます。

 この時、自分の罪に向き合っていない加害者が、「被害者が悪い」みたいなことを言って、遺族を傷つけることがある。刑務所にちゃんとした更生プログラムがあって、加害者が償いの言葉を持つことができれば、そうやって被害者遺族が傷つくことはないんです。

 

 被害者の権利は、昨年亡くなられた「あすの会」(「全国犯罪被害者の会」)の岡村勲弁護士(逆恨みで家族を殺害された被害者遺族でもある)らの根強い努力で、法的に認められるようになりました。

 一方で、加害者との関係をどうしていくのかについては、まだまだ議論になっていないのが実情です。