ネットに飛び交う事件に関するデマ情報

――この事件にはデマの被害者もいます。コンクリ詰め殺人事件に限らず、報道の萎縮がデマを生むように思いますが、少年を守る名目の少年法が、デマを生むこともあるのでは?

山﨑 それはそうだと思う。デマは、情報の空白地帯に起きるんです。

 現在、僕は北海道放送にいるのですが、たとえば旭川市で起きた女子中学生いじめ凍死事件があります。この事件は「文春オンライン」が独自に報じていったのですが、われわれ地元メディアは遺族になかなか取材ができず、新聞・テレビは報道さえできなかった。すると、「こいつが犯人だ」などといったデマが次々と生まれ、どんどん広がっていった。迷惑系ユーチューバーが校長の家に行くなど、旭川の町がものすごく混乱しました。

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 コンクリ詰め殺人事件も現在、ユーチューバーによる興味本位の動画が流されたりしています。なかには、デマもあれば、被害者の尊厳を傷つけるようなものまであります。

 

賛成もあれば、反対もある

――『償い』は、報道とネットの問題にも言及されています。山﨑さんがこの事件を最初に取材したものが放送されたのは、2000年11月28日。ネット世論に浮かれて政変を起こそうとして失敗した「加藤の乱」もその月のこと。いわばネットの時代の幕開けの頃です。

山﨑 当時の「2ちゃんねる」には、もちろん真偽不明の情報もあったけれども、それでも、しっかりと番組を見たうえでの意見や批判が書き込まれていました。今は、番組や記事を見ずにタイトルだけ見てコメントするものが多い。とくにYahoo!ニュースのコメント欄がそうです。

 きちんと見たり読んだりしたうえでの感想ならいいのですが、加害者を取材したものというだけで、「こんなやつは死ねばいい」とか「取り上げる価値なし」と反応している。それでは、何の議論も生まれませんよね。

――今日のメディアは、賛否両論の否を恐れ、否の反響を炎上と捉えて、それを回避しようとする傾向にある?

山﨑 先日亡くなった久米宏さんは、「ニュースステーション」のキャスターをしていた当時、「批判の声は多ければ多いほどいい」と言っていました。報道に対して、誰からも反応がないことほど、つまらないことはありません。賛成もあれば、反対もある。それで議論が湧き起こるんです。人々の感情をゆさぶることが大事だと思っています。 

 ところが、いつからか、報道する側が批判をものすごく恐れるようになっています。