ところどころに畑と古墳
途中にはところどころに畑があったりして、かつてこのあたりは農村だったのだろうと思わせてくれる。
また、六郷さくら通りというやや広い道沿いには、こんもりとした木々の茂る「経塚古墳」。説明書きを読めば、5世紀後半の円墳だとか。
他にもこのあたりにはいくつかの古墳が点在している。どれもこれも、きっと遠い昔にこの地域を治めていたエラい人のお墓だ。品川道もそうだし、古くから人の営みがあったということだ。
かつては田園地帯の農村だった
六郷さくら通りには、もともと多摩川から引いた農業用水・六郷用水が流れていた。これは江戸時代初期に開削されたものだが、つまりはかつての狛江は多摩川沿いの田園地帯、農村だったのである。
そんな古の面影を感じながら、泉龍寺という立派なお寺の脇を抜けて駅前に戻ってきた。
駅前ロータリーの脇から広がる泉龍寺の境内を中心とした広大な緑地は、狛江弁財天池特別緑地保全地区という。駅前の超一等地ながら、自然のままの緑地が残る。市民の手で維持されていて、野鳥なども見られるという。
泉龍寺は、奈良時代の創建で江戸時代に復興、以来この地の中心に鎮座してきた。きっと、町としての狛江は泉龍寺の周辺に広がった門前町。そこに農業用水が流れ、田畑を耕して狛江の人々は生活を繋いできたのである。
なんでも、狛江は高句麗からの渡来人、“高麗人”が開拓したのがはじまりだとか。高麗が転じて狛江。そんな地名の由来が伝わっている。
もちろん遥か古代の物語。それから一貫して、ほとんど変わらぬ農村地帯であり続けてきた。明治に入ってもすぐには変わらず、ようやく都市化がはじまったのは1927年に小田急線が通ってからだ。
別に小田急が狛江を舐めていたワケではないだろう。が、当初狛江駅の設置は予定されていなかった。
ところが、それでは困ると地元の人たちが立ち上がる。皆からお金を集め、地主さんから駅のための土地を買い上げて小田急に寄贈したのだとか。




