――その後の小学校生活についても教えてください。
西村 和歌山には私が小4までいたのかな。そのあと、大阪の枚方に引っ越しました。ちょうどその頃、両親が再び結婚したはずです。枚方の家もボロかったですね。ただ、2階建ての集合住宅、間取りは3DKとだいぶ広くなりました。
――枚方での思い出はありますか。
西村 和歌山時代に比べて家は広くなったものの、地域柄なのか、裕福な家の子どもの割合が増えて、相対的に自分が貧乏だと感じることが多くなりましたね。なんとなく、豊かな家庭の子とは付き合う気になれなくて、複雑な事情を持った子のほうが波長は合いました。線路沿いに住んでいて、いつ遊びに行ってもお父さんがゴロゴロしているような子とかね(笑)。
――小学生ながら経済格差を肌で感じていたんですね。
西村 そうかもしれません。中学生になるあたりで、同じ校区内の新築マンションに引っ越したんですよ。当時は父の仕事の調子がよかったのでしょう。4DKの新築マンションです。明らかに景気がよくなったなと思いました。また、これまでの自分の経済的な位置と比べて、だいぶランクアップしたのを子どもながらに感じてもいました。
借金取りが玄関ドアをドンドン叩き、電話からは「ぶち殺す」という声が…
――中学校生活はいかがでしたか。
西村 枚方市立楠葉中学というところに進学しましたが、楽しかったですよ。自分で言うのもなんですが、勉強は昔から結構できたんです。3歳上に兄がいて、やることがないときに兄の教科書を読んだりしていたので、授業で教えられることの大半は知っていました。運動神経はあまりよくなかったですが、体力はあったので体育祭では3年間1500m走のクラス代表でした。で、住んでいる家も周囲と比べて悪くない。生徒会役員も務めていました。今考えるとこの頃は人生の絶頂期だったかもしれません(笑)。
――そのままお父様のお仕事がうまくいくとは想像しづらいですが、どうだったのでしょう。
