球界を代表するヒットメーカーとして、侍ジャパンでも主軸を担った近藤健介選手。WBCでの活躍こそ叶わなかったが、ソフトバンクホークスファンは今シーズンも彼の躍動を信じて疑わないだろう。近藤健介はいかにして才能を開花させ、トップアスリートへと成長したのか。
近藤選手の父親であり、自身も数学教員や中学軟式野球の指導者として活動してきた近藤義男氏は、幼少期の「その年代でしかできない体験」や、どんなレベルに行っても自分の立ち位置を見つける「自己肯定感」の重要性を語る。
ここでは同氏の著書『世界一の侍選手の育ち方』(カンゼン)の一部を抜粋。父の目から見た“わんぱく少年”の素顔について紹介する。
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全国レベルを体感できたNPBジュニア
2005年12月、福岡ドームで行われた「第1回NPB12球団ジュニアトーナメント」で、健介がいた千葉ロッテマリーンズジュニアは準優勝に輝いた。チーム結成当初は、髙山選手らがプレーしていた船橋市のホワイトビーストロングのメンバーがレギュラーを担い、健介はベンチからのスタートだった。それが、練習や試合を重ねていくうちに、スタメンに入り、本大会では中軸を任されるようになっていた。
小学6年生で、県内トップクラスが集まるチームでプレーし、さらに全国レベルを体感できたことは、その後の野球人生に大きな意味を持った。たまたま、健介が6年生のときに第1回大会が開かれたことも、幸運だったと言える。
NPBジュニアのおかげで、「上には上がいる」ことを、身をもって実感できた。
髙山選手のバッティングは当時から目を引いており、健介はまだそこまでのレベルには達していなかった。予選リーグの初戦で当たったのが福岡ソフトバンクホークスジュニアで、攻守で目立っていたのが正捕手の髙城俊人選手(元DeNAなど)である。肩に自信があった健介であっても、その強肩ぶりには刺激を受けていたようだ。
