「この生活が楽しすぎて。たまに友だちの家にいったりしても、グタグタしていたら『この時間がもったいない』と思っていました」
ストイックな姿勢は、幼い頃からのものだった。小学生の頃、昆虫が大好きで一日中ひとりで昆虫採集しては、図鑑で調べる日々を過ごしていた。バスケを始めてからは、「NBAにいく!」と決めて、ビデオで毎日研究。その対象が、スノーボードになった。
「僕、勉強はできないんですけど、オタク気質なんで、好きになったら何時間でも没頭できるんですよ」
20歳でゼロからコメ作りを学ぶ
探求の甲斐あって、18歳の時、中学生時代に一目で惚れ込んだ「スクローバー」から声がかかり、チームに加入。高校卒業後に上京したのは、スノーボードメーカーのオフィスがある東京にいたほうがプロへの道が拓けると聞いたからだ。ちなみに、プロスノーボーダーとはどういう人を指すのだろうか?
「最初は、スポンサーがついてボードやウェアなどを提供してもらうところから始まります。そこで活躍して、契約金をもらえるようになったらプロですね。さらに、自分モデルのウェアやボードを出して売れるようになると契約金も上がります。チームとしては、自分たちのDVDを出して販売するのがメインですね」
関さんは東京の建築現場で肉体労働をしながら、プロを目指した。日給は1万円弱。決して楽な生活ではなかったが、その収入で生活費をまかない、残りはすべて活動資金に回した。その頃、帰省中に知り合った女性と恋に落ち、ほどなくして子どもを授かる。結婚を決めた関さんは、東京から引き上げることにした。
「家賃や生活費を節約するために両親に頼んで実家に戻り、冬はスノーボードをして、春から秋は父のもとで農業をすることにしました。それまで草刈りぐらいしか手伝ったことがなかったけど、東京では朝は早くて帰りは満員電車だし、夏は35度を超えるなかコンクリートに囲まれた現場で粉塵を浴びながら働く日々でした。農業も暑さや肉体労働の厳しさはありますが、周囲は一面の緑で風が抜け、空が広い。東京と比べたら、農業をするほうがいいなと思いましたね」