コンクールを通じて遠藤名人と面識があった笠原さんが橋渡し役となり、関親子は貴重な学びの機会を得た。さらに笠原さんは、コメ作りの巨匠として知られる群馬・水上の本多義光さんも紹介してくれた。山形と同じくこちらも笠原さん夫妻とともに、4人で訪ねたという。
ほかにも電話アタックや先人のツテをたどり、関親子はおよそ30人の名人を訪ね歩いたという。ここでひとつ疑問がわく。同じコメ農家とはいえ、コンクールではライバル。親しくもない親子に、気軽にノウハウを教えてくれるものなのだろうか?
コメ農家のひよっこ「日本一を作る」
「一方的にコンクールで評価されるコメの作り方を教えてほしいと言っても難しいですよね。それで、うちは父親がこだわっていた田んぼの微生物や菌を活かすコメ作りについて話をすることにしました。ギブアンドテイクのような形にすることで、具体的な方法をたくさん教えてもらうことができました」
名人たちはみな、コメ作りに貪欲だ。関さんの父親が独自の工夫をしてきたことが、名人たちにも評価されたのだ。
名人行脚をしている間も、関さんはもとの滑りができるようになるという一縷の希望を抱き、スノーボードの仕事を続けていた。しかし、コメ作りを究めたいという思いがムクムク大きくなっていることを実感した。
ケガから復帰して2年目、2012年の冬、やはり思い通りに滑ることができないと自覚した時、「中途半端は良くない。もうコメ一本に絞ろう」と腹をくくった。新たな目標は「日本一のコメを作ること」。まだコメ農家のひよっこだったにも関わらず、27歳の関さんはこの目標を実現できると確信していたという。
「死ぬほど考えるだけでいい」
「スノボで研究して、考えて、練習することなら、誰にも負けないと思っていました。でも、スノボの場合、恐怖心を乗り越えなきゃいけない。下手をすると死ぬかもしれないから、めちゃくちゃ怖いんです。コメ作りには、そのリスクがない。死ぬほど考えるだけでいい。それならできると思いました」