「真の金メダルはみどりよ」
カルガリー五輪では、フリーで5種類の3回転ジャンプを次々と7回にわたって決め、うまく演技ができた喜びから笑顔を見せたままフィニッシュのダブルアクセルも成功させ、思わず拳をあげてガッツポーズをしてしまったほどだった。いつしか彼女の笑顔は泣き顔に変わり、集まった2万人の観客に向かって手を振ると、スタンディング・オベーションで祝福を受けた。
最終的な順位は5位だったが、技術点は出場選手中最高をマークした。金メダルは前回のサラエボ五輪に続きカタリナ・ヴィットで、《ビットさんは2種類のジャンプだけで優勝して、美人はやっぱり得ね、と思いましたね(笑)》と伊藤は後年振り返ったが(『Number』2010年2月18日号)、そのヴィットもあとになって「真の金メダルはみどりよ」と言ったと伝えられる。競技最終日のエキシビションでは本来なら5位ではありえないトリも飾った。
#1で書いたとおり、伊藤はカルガリー五輪後、さらに上を目指すべくトリプルアクセルを完成させた。そして翌1989年3月のパリでの世界選手権を、ヴィットら有力選手が引退して世代交代が進んだこともあり、メダルが確実視されるなかで迎える。苦手な規定(※)も6位と好スタートを切ると、この年から1992年までオリジナルプログラム(OP)と改称されたSPで3位に浮上する。最終日のフリーでは、優勝へのプレッシャーから試合前の練習で調子が出ずにいると、山田コーチから「ここまで来たんだから、思い切って楽しく滑っていらっしゃいよ」と言われて気が楽になったという。
※当時のフィギュアスケートでは、ショートプログラム(SP)とフリープログラム(FP)と並んで、氷上に図形を描く精度を競う規定(コンパルソリー)という種目があった。



