身長145センチの世界女王が生まれた瞬間

 最初にトリプルルッツを決めると勢いに乗り、リズムに乗ってスピードを上げ、絶好のタイミングでトリプルアクセルを成功させると観客からどよめきが起こった。滑り終えると、5人のジャッジが技術点で満点の6.0をつけ、豊かになった表現力が芸術点も押し上げ、文句なしの優勝を決める。身長145センチの日本の女子選手がジャンプを究め、世界の頂点に立った瞬間だった。

1989年、プランス・パリで行われた世界選手権で優勝した ©AFP=時事

 続く1990年のカナダ・ハリファックスでの世界選手権では、規定が10位だったため、OPから全力で行くしかなく、高さ、着地ともに前年のパリ大会を上回るトリプルアクセルを成功させ、最終的に2位までたどり着いている。

 このころには伊藤と戦うため、ほかの選手たちも多種類の3回転ジャンプに力を注ぐようになっていった。1991年には全米選手権でトーニャ・ハーディングが伊藤に続いてトリプルアクセルを成功させる。女子フィギュアスケートの世界は、かつて予見されたとおり、芸術性の高さから技術力に重点を置く純粋スポーツへと確実に変わっていた。

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金メダルを期待されるプレッシャー

 1990年の世界選手権を最後に規定が廃止された。伊藤には追い風となるはずだったが、皮肉にも有利と言われるようになってから、あまりうまくいかなくなっていく。1992年のアルベールビル五輪では期待された金メダル獲得はならず、伊藤はプレッシャーに押しつぶされたとの声も上がった。だが、彼女を指導してきた山田コーチは、そうした見方を否定、《あの子がアルベールビルで感じていたプレッシャーは、大きな試合の前に選手ならだれでも感じる種類のものでした》と主張する(『Number』1995年1月19日号)。

1992年アルベールビル五輪で銀メダルを獲得した伊藤みどり ©時事通信社

 だが、当の伊藤からすると、いまとは違って日本のフィギュア界にはほかにトップ選手がおらず、メディアの注目が自分ひとりに集中した状況は精神的にきついものがあったと後年吐露している(『文藝春秋』2013年2月号)。アルベールビル五輪を翌月に控えた1992年1月には神戸での全日本選手権で8連覇を果たしたものの、その直前には関係者たちに「出場しない、五輪へも出ない」と訴えるほど、彼女は追い詰められていた。(つづく)

次の記事に続く 「本来はありえない」トリプルアクセルで転倒、その後まさかの…伊藤みどり(当時22)がオリンピックでみせた“驚愕のラスト1分間”

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