崖っぷちから決めた「ラスト1分」のトリプルアクセル

 崖っぷちに立たされながらも、そのあとのジャンプを次々と成功させると、後半でもういちどトリプルアクセルを跳びたいとの思いが湧いてきた。本来、足に疲労が溜まった後半にパワーの必要なトリプルアクセルを入れるなどありえないが、しかし、このときはどうしてもラストチャンスで跳びたくて、気づいたら自然とトリプルアクセルの助走をしていたという。「絶対に決めてやる」との思いでジャンプすると、今度は完璧に決めた。ラスト1分間でのことであった。《この時のジャンプはダイナミックで質が高く、男子にも負けないアクセルだったと自負しています》と彼女は顧みている(『Number』2010年2月18日号)。

アルベールビル五輪で挑戦したトリプルアクセルは、演技冒頭での跳躍では転倒するも、後半のラスト1分間で成功させた(gorin公式YouTubeチャンネルより)

 最終的な結果は日系アメリカ人のクリスティ・ヤマグチに次ぐ2位で、オリンピックのフィギュアスケートで日本勢初のメダルに輝く。伊藤のなかではやり切ったと思い、帰国する飛行機のなかで「引退する」と口にしていたという。

銀メダル獲得の2ヵ月後に引退→現役復帰へ

 伊藤はアルベールビルでの銀メダル獲得から2ヵ月後の1992年4月、引退会見を行ったのち、プロに転向してアイスショーなどで活躍する。しかし、チャンスがあればもう一度、アマチュアの世界で自分の実力を試してみたいとの思いから、1995年にいったん現役に復帰、全日本選手権で優勝し、一時は1998年の長野五輪への出場を目指す。結果的にその夢はかなわなかったものの、自国開催の五輪の開会式で聖火点火者の大役を担った。

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 その後、再びプロに戻ってショーへの出演を続けたが、2002年、32歳で身を引く。前年には国際オープン選手権で久々に公式競技会に出場、トリプルアクセルを決めていたが、それもプロ引退時には跳べなくなっていた。それからというものセカンドキャリアを模索し、エステティシャンやウエディングプランナー、心理カウンセラーの勉強もしたが、やはりスケートへの思いを断ち切ることはできなかった。2009年には、一般企業に勤める夫の転勤にともない住むようになった北九州で、冬季限定ながらスケート教室を開いて子供たちに教えるようになり、現在にいたっている。