店員さんの施術は、魔法のようだった

 一瞬ためらった母は、ここならもしかしてと弟の手をひいて飛びこむ。

「あのう、この子、もう小学校中学年なんですけど、切ってもらえますか?」

 店員さんは、キョロキョロして落ち着かない弟をちらりと見て、いった。

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「もちろんです、いらっしゃいませ!」

 母いわく、その美容室の店員さんの施術は「魔法のようだった」そうだ。

 まず、弟には真っ赤なスポーツカーの席が与えられた。遊園地のゴーカートのようにハンドルまでついていて、弟のテンションは急上昇した。いまでも弟が、車を見るたび運転手へ「それ、いくらですか?」と果敢にたずねるくらい好きなのは、この影響だとわたしは思っている。

 そして席につくと、アンパンマン、ドラえもん、と弟が食い入るようにみるアニメが次々に再生された。

 シャンプーはめちゃくちゃあまそうな、いちごのにおい。リンスはホイップクリームのにおい。頭がたちまちクレープになる。

 とどめに店員さんは、弟をほめちぎった。

「えらいねえ!」「かっこいいねえ!」「お兄さんだねえ!」

 弟はほめられるのが大好きなのだ。まんざらでもない顔をして、とにかく上機嫌であった。ウナギイヌを必死に確保していた母はなんだったのか。

 わたしはこんな簡単なことでほめられる弟がうらやましく、「わたしはもっとお姉さんですけど? お会計もひとりでできますけど?」と濃いめのアピールをした時期もあった気がする。

 あまりにも弟が楽しそうだったので、そのヘアサロンには姉弟でお世話になった。無事に髪を切り終えると、小さな缶ジュースがもらえるのがうれしかったのを覚えている。そこで弟は、顔のまわりをいじられるのも、髪を切られるのも、こわくないと学んだ。学ぶには、5年くらいかかったけど。

昭和の大工もびっくりの大角刈り

 中学生になってから2年ほど、弟の散髪事情は予期せぬ暗黒期に突入する。母が病気で入院したので、美容室に弟を連れていくのは祖母の役目になったのだ。家から歩いていける、田舎の1000円カット専門店に。

 祖母は運転免許をもっていないから遠出できないのは仕方がない。1000円カット専門店が悪いわけでもない。

 問題は弟の髪質が剛毛すぎたことで、昭和の大工もびっくりの大角刈りになってしまったことだ。

 角刈りではない。大角刈りだ。前髪がひたいの前に突き出て、後頭部は東尋坊のごとく絶壁、もみあげにいたってはきっちり直角であった。