「お前ら要するにナチスだろ」と…
王谷 「フレンチ75」は過激な革命集団で、移民収容所から移民を解放する活動をしていますが、今作は移民政策や人種差別をかなり正面から描いているんですよね。でもそこがテーマになっている感じでもない。制作した時期は少し前だと思うんですけど、今このタイミングでの公開は、図らずも社会状況への強いカウンターになっているんじゃないかと思います。
セメント 映画を構想していた時は、今がこんな時代になるなんて思ってないはずだし、ファシズムがより力を持っているアメリカを想定して描いてみたら、その状況に現実が寄せてきちゃったという感じなんだと思います。図らずも今の時代とシンクロしてしまっている。
「フレンチ75」は「ウェザーマン」という60年代にアメリカの学生運動から派生した極左テロ組織がモデルになっているようです。PTA本人が言っているわけではないのですが、『ワン・バトル・アフター・アナザー』というタイトル自体、ウェザーマンの声明文から取られているんじゃないかという説もある。なのでそこにシンパシーがあり、きちんとリサーチを重ねていたのではないかと感じました。原作はレーガン政権真っ盛りの80年代を舞台にしたもので、60年代の革命に挫折した後の人々がたくさん出てきて、彼らがふざけたことを言いまくる。そういう精神性がこの映画にも引き継がれているのがいいなと思いました。
王谷 こんなに人間臭く描かれる左翼は見たことがなかったです。PTAは70年の生まれなのでリアルタイムではないでしょうけど、フィクションの中の活動家じゃなくて、生身の人を参考にしたのかなという人間臭い手触りがある。清廉潔白でもなければ、ただ過激なわけでもない。人権侵害に抵抗する人を描くなかで、そこが一番新規性を感じたところですね。
セメント 白人至上主義団体の「クリスマス冒険者クラブ」も出てきますが、あれは原作にない映画だけの創作です。ただ、ピンチョンの小説には秘密組織や、世界を動かしている力みたいなモチーフがよく出てくる。だから創作ではあるけれども、ピンチョン的世界ではありそう、というラインは守っているんです。
王谷 あの組織はフィクション度がグッと上がりますよね。「クリスマス冒険者クラブ」に入りたいショーン・ペンは、入会を許されたと思ったら、部屋にガスが充満して殺されてしまう。『ミッション:インポッシブル』や『007』の悪役みたいですよね。あんな部屋、普通作るかよ、って思うんですけれども(笑)。そして、そのまま火葬にしちゃう。あそこはすごくストレートに、「移民政策とか人種なんちゃらとかやってるけど、お前ら要するにナチスだろ」というのを描いている。最近のアメリカ映画では、ここまでストレートに言えば分かるだろう、というシーンやテーマが増えていると感じていたんですが、ここはPTAが「ひねらず直球でやれば分かるだろう」をやっているなと思いました。
ネタは過激だけど、品がいい
セメント ガスが充満する部屋の番号も55番で、SS(ナチス親衛隊)を示していて、分かりやすい。「クリスマス冒険者クラブ」は戯画化されていてふざけているのかなと思うけど、現実の極右団体も結構ふざけてるところがあって、リアリティラインが微妙に守られているのが面白いなと思いました。組織の本拠地に行く場面では、そこまで音楽がバンバン流れていたのに、急に静かな緊張感のあるカット割りになる。話してる内容は死ぬほどしょうもないのに、本格的な犯罪映画みたいな演出をしているじゃないですか。ああいうところがバランスが取れていてうまいですよね。
王谷 ふざけているのに露悪的じゃなくて、全体的にすごく上品になっている。暴力そのものを見せるところはほとんどなかったし、昔からネタは過激だけど、基本的に品のいい監督だなと今回も思いました。
セメント PTAが今作に通じる5本の映画を、むこうの旧作映画専門チャンネルでセレクトしているんですけど、その中の1本『フレンチ・コネクション』(71)で描かれる暴力はものすごく陰惨なんですよ。銃で撃たれたところからいちいち赤い血が出てくるのを映していて、見ながら「嫌だな、この監督」って思っちゃうんですけど、PTAは「フレンチ75」のメンバーたちが撃たれたりしてどんどん退場していくところも、あっさりでしたよね。
王谷 引きで撮っていましたね。絶対この後拷問されるんだろうなというシーンでも、そのものは映っていない。それに、あれだけ長くていろんな人が出てきて場所も移動するのに、取っ散らかった感じは全くしないのがすごいと思いました。目的がシンプルだということもあると思いますけど、「ダレるな」という露骨なポイントは一つもなかった。
セメント 常に見せ場ですもんね。上に行ったり下に行ったり、高低差もすごい。原作だといきなり過去に行ったり、最近の話にまた戻ったりと、読んでいてガクガクッと曲がっていくような感じがあるんです。映画だとそれが空間的な移動に翻訳されているんじゃないかと個人的には感じました。高いところに行ったり、広いところに行ったりで、原作の蛇行が表されている。そういう参考にしたもののエッセンスは入っているけど、自分のものとして再構成するうえで、いろんな細かいトーンの調整に気を付けている。だから身をゆだねられるのかもしれないです。

