休暇でウィーンに向かったはずの「文藝春秋」編集部員が、アメリカ・イスラエルのイラン攻撃によって、経由地・ドーハで足止めとなった。
イランからの報復攻撃で地下シェルターに避難した後、ドーハ市内のホテルに移動したが、連日のミサイル攻撃による爆音と振動に恐怖を感じながら生活することとなった。彼女は、いかにして帰国したのか。
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帰国の目処は全く立たない
突如始まったイランでの軍事衝突により、ドーハで足止めされて3日目となった3月2日。イランからのミサイル攻撃が続き、ホテルのわずかな物音でも空爆ではないかと怯えながらの生活が続いた。
朝9時(以下、現地時間)、カタール航空の公式Xをチェックすると、当日のフライト運航は全てキャンセル。この後、7日まで空港は軍の管理下に置かれ、再開することはなかった。帰国の目処は全く立っていない。
慣れない土地で、ずっと乾燥した室内にいるせいなのか、鼻と喉の調子が悪い。空港で預けたきり、相変わらず手元に戻らないスーツケースが早く届くことを祈りながら眠りにつこうとしたが、状況が状況だけに胸騒ぎがしてなかなか寝付けない。
「intercepted (迎撃した)」速報が流れる
爆発音で目覚めたのは、翌3日深夜1時半のことだった。窓の方から「ドーン!!」という低い音がした。窓からの飛来物に備えてカーテンを閉め、窓から離れた低い位置で頭を守る。ホテルの枕をできる限り手繰り寄せた。そしてすぐに避難ができるよう、服を着て荷物をまとめる。数分遅れて、攻撃を伝える携帯のアラーム音が耳をつんざく勢いで鳴り響いた。
テレビをつけると、カタール現地メディアの「Al Jazeera」が速報を報じ、「intercepted (迎撃した)」という言葉が何度も耳に入る。Xでも、カタール国防省がミサイルを迎撃したと、機械的に伝えた。
“The Ministry of Defense of State of Qatar announces that armed forces intercepted missile attack.”
(カタール国防省によると、軍がミサイル攻撃を『迎撃』した。)
アラームが解除され、落ち着いた頃に窓の外を覗く。暗い空には長い雲のような筋があった。これがカタールを狙ったミサイル、それを迎撃したミサイルの軌道の跡だと分かるのに時間はかからなかった。
次はいつ、どこに、どのような攻撃が来るのだろうか。ホテルに滞在しているとはいえ、安心して眠れる日は一日もなかった。このように先の見えないカタール生活は、7日間続くこととなる。
部屋のカーテンを閉めて、外には出ない生活
外務省が短期海外旅行者にネットで情報配信している「たびレジ」からは、〈屋内退避を強く奨励〉、屋内にいる場合〈窓から離れる〉という指示が来た。
イランの狙いはカタール国内の米軍基地だけでなく、市内の民間施設やホテルから近い空港にも広がっているという。市内でミサイルの残骸を見た、市街地で火災が起きたといったSNSの投稿に恐怖心が煽られる。
私は日中もミサイルに備え、部屋のカーテンを閉めて、外には出ない生活を続けていた。ただ、長引く避難生活のため、ホテルの滞在客は思い思いに過ごしており、晴天の中ビーチで散歩したり、スポーツを楽しんだりする人の姿も見られた。
食事会場に行くと、この数日で顔見知りになっていたオーストリア人がいないことに気づく。メッセージを送ると、前の晩に政府のチャーター機で帰国したという。ヨーロッパは中東との距離が近いこともあるが、対応が非常に早い。その様子を見て、日本はいつ動くのだろうとじれったさを感じた。
日本の外務省から、サウジアラビアのリヤド、もしくはオマーンのマスカットまで陸路で退避させること、そこから日本まで政府チャーター機での邦人輸送を検討すると発表があったのは、攻撃が発生してから5日が経過した、5日11時頃になってからだ。

