栄えていた頃は…

「もちろん1985年やろ。通りはスナックだらけだったしさぁ」

「では1970年以前はそれほど大っぴらに置屋商売(スナック)をしてなかった」

「ないない。僕が家を出るころは某大型ホテルだってまだ瓦屋根の旅館。いまの『つたや』や『はいふう』がある場所にしても、埋め立てただけの平地だった。他には『水光館』というこれまた瓦屋根の旅館があっただけで、あとはみな民家。その民家の間に瓦屋根の芸妓置屋が数軒あっただけで、スナックなんてなかったんだから」

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 持参した1968年と1972年の住宅地図を、「確かにホテルもスナックもありませんね」とその場で広げた。では芸妓置屋はどれかとたずねると三橋さんは、老眼鏡をかけ、『大阪屋』と書かれた箇所を指し示しながら説明した。

「地図では個人宅になっているけど、この大阪屋の斜め奥が芸妓置屋だったよなぁ。僕が小学生くらいのころは芸妓さんを何人か置いていた。1軒、2軒……『ミシマ』という芸妓置屋もあったから3軒くらいかなぁ」

 その置屋という単語の響きから、その昔も巷に流布する連れ出しスナックのような形態の店を思い浮かべていた。だが、屋号があるスナック形態の置屋ができたのは、4人が移住してきた1965年以降。つまりその前は、個人宅の名前で経営する芸妓置屋だったのだ。三橋さんが言う。

「とにかく、昔は飲み屋じゃなくて女の子を置いているのが置屋さんだった。芸妓置屋は、2階建ての大きめの木造住宅だった。玄関をくぐるとさぁ、すぐに階段があるんだよ。その階段を上がった2階には女の子の部屋があって。飲む場所なんて何もないよ。

 だから当時はその地図どおりだよ。置屋であっても地図には置屋とは書いてない。あと、これも地図では個人宅になっているけど、中身は商店の家もあったよ。『菊水』『和平屋』……雑貨を置いていて、四角いテーブルがふたつほどあって、そこでうどんが食べれた」

「30年前、うどん屋に住み込みで内装業をしていた人にも話を聞きました」

「それは『菊水』やと思うな。2階に空き部屋があったから」

「そうして養女を受け入れるほど島が売春で栄えてきたので、Kさんの資金もありうどん屋などの商店もできていったんですね」

 そうたずねると、あるファイルに納められた1枚の写真を指差し、三橋さんはこう説明した。