ファイルをめくると、対岸の的矢地区の写真があった。見れば菱垣廻船や樽廻船といわれる、江戸と大坂を行き来する多くの帆船が、海岸線を埋め尽くすように停泊している様子が写されていた。聞けば、渡鹿野島より的矢のほうが停泊する船が多かったそうだ。当然、はしりがね(=菜売り)も行われていたという。この写真は周辺地域でも売春が行われていた事実の裏づけになった。
さらにファイルをめくると、名古屋と渡鹿野を航路で結んだ日東航空の水上飛行機の写真もあった。
芸妓置屋の写真もあった。三橋さんによれば、おそらく明治時代だという。
和装に文金高島田の女性たちが欄干から手を振っているその様子は、1965年ごろまで続いたのだ。
釣り船が盛んだったころの釣り船組合のメンバーの写真の中央には、制を纏ったキャンペーンガールまで。東洋のモナコ化計画が浮上するほど風光明媚なこの島には、売春を燃料に多くの観光客が来ていたことだろう。
「昔はよかった」
これまで霧がかかっていた島の変遷を埋める作業をするにあたり、この三橋さんの証言は、売春島の歴史を晴れやかにした。一時期は違法カジノ店があり、覚醒剤などのクスリも蔓延していたことがのちの調べでわかっている。
もし競艇場ができるなどさらなる発展を遂げていたら、いまごろどんな風景が広がっていたのか。まさに飲む、打つ、買うの「桃源郷」になっていた。
そんな未来は来ることもなく、時代の波には逆らえず、伊勢志摩サミットの「余波」と風俗の多様化によりわざわざ大枚叩いて遊ぶまでもないという「現実」の前に、売春島は世間から取り残されてしまったのだ。
また朝が来て、新たな一日がはじまる。2023年ごろ、残るひとりのタイ人女性の娼婦が島から出たことを最後にこの島の売春産業は終わる。
「昔はよかった」
望んだ健全化のもどかしさを、多くの島民たちがこぼしたこの言葉で表していた。
