結婚を勧められ「私は一生独身で暮らします」

 男を翻弄する明子

 女子大学同窓生の言うところを聞けば、明子はたばこを吸うなど、なかなかの莫連者(ばくれんもの)(=すれっからし)のようだが、実はそうでなく、男勝りの女丈夫(=タフでパワフルな女性)のようだ。母親から結婚を勧められた時、「私は一生独身で暮らします。私の夫はすなわち文学です」と答えた。

 

 彼女をよく知る某女性詩人の話によれば、明子の思想は全く西洋流で、男性をあくまで自分に引き付け、とうとう傍まで来ると突き放すことを最大の快感と思っているぐらいだから、男に誘われて動くようなことは断じてないだろう。いかにも明子はロシア文学を愛読し、ツルゲーネフの諸作などは一通りそろえて机の上から離さないという。

なぜ心中を図ったのか?

 こちらは必要以上に胸を張って生きていこうとする強い意志を感じる。東朝の記事はそんな2人の関係と「心中行」の動機の推測に及ぶ。

 米松と明子の関係

 だいぶ前から関係があるように言われているが、草平が明子を知ったのは昨年(1907年)6月、麹町区(現千代田区)九段坂下の成美女学校で金葉会が開かれた時らしく、その後も顔は知っているが、言葉を交わしたことはなく、名前さえ知らずに「めいこ、めいこ」と呼んでいたほど。先月(2月)ごろから親しくなって口をきくようになった。しかし、いつどのように相思相愛の関係に至ったのか、あるいはそうではないのか、友人たちの間で推測はあるが……。

 2人の接触について、これまでの報道だけでは不明確だ。『日本文壇史12』によると、草平は東京帝大在学中から夏目漱石に師事し、漱石が関係する会合に顔を出していた。卒業後、博文館などへの就職を目指したが失敗。漱石の口利きもあって仏教系中学の教師に。

 同じころ、九段にあったキリスト教の成美女学校に勤めていた生田長江から「女学生向けの文学講座を開くので一緒に講師を」という話が来た。「閨秀大学講座」(「閨秀文学会」とも)と名づけられ、同女学校の始業前に毎日1時間開かれた会の講師は、2人のほか与謝野晶子(歌人)、馬場孤蝶(評論家)ら豪華な顔ぶれ。

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『みだれ髪』などを発表した歌人・与謝野晶子 国立国会図書館「近代日本人の肖像」より

 当初は満員だったが、しばらくするとガラガラになり、毎週金曜開催の「金葉会」に衣替え。その間、一貫して出席していたわずかな女性のうちの2人がのちの女性活動家・山川菊栄と平塚明子だった。

「なぜか毎日のように遅刻してくるのと、とりわけ気品の高い美しい容姿、ごく地味ではあるが上等な服装、他の人々に比べて鶏群の一鶴(凡人の中に1人だけ傑物がいる)とも言いたいような、際立って貴族的な、誇りの高い感じで人目を引く人がいた」「それは平塚さんといって、日本女子大の卒業生で、年も学力も自分たちよりはるか上で先生格の先輩だということだった」=山川菊栄『生の勝利八十五年』(「婦人公論」1971年8月号所収)。