「先生、ペアって大変です」

 時事通信運動部デスクの和田隆文氏が明かす。

「小林さんは大柄な男子選手に『ペアにならないか』と声を掛けて回っていました。なかなか良い反応が得られない中で、木原選手の反応は悪くなかった。小林さんが木原選手の両親に転向に向けて説明に行くと、父親から『芳子さん、梯子だけは外さないでくださいよ』と言われたといいます」

 木原は高橋成美とペアを結成し、米デトロイトへ拠点を移したが、苦難を味わう。前出の若松氏が語る。

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「ペアの技術を学ぶだけでも大変ですし、女性を持ち上げるのには力もテクニックも必要。彼は細かったので苦労したでしょう。アイスショーで日本に帰ってきたとき、龍一君が『先生、ペアって大変です。難しいです』と弱音を口にしていました」

ペア解消→地元でアルバイトを開始

 ソチ五輪でも、新たに須﨑海羽とのペアで出場した18年の平昌五輪でも、結果は奮わなかった。翌年、ペアを解消して地元・愛知に戻り、幼少期に練習を積んだリンク「邦和スポーツランド(現・邦和みなとスポーツ&カルチャー)」でアルバイトを始めた。同僚だった飯岡裕輔氏が振り返る。

「木原選手が『邦和で働かせてください』と言ってきました。彼は自分がスケートしかやってこなかったことを気にしていて『一般社会で働いてみたい』と」

バイト時の同僚の飯岡さんと木原

 業務は受付やリンクの監視、スケート靴の貸し出し、さらには隣接する宿泊施設のフロント対応など。

「お客様対応は丁寧で、目を見張るものがありました。小さなお子さんが来たときは、膝を曲げて、目線を合わせてスケート靴の受け渡しをしてあげていた」(同前)

愛知のリンクを訪れたりくりゅう

 当時、ペアが見つからなければ引退も考えていたという木原が、三浦と出会ったのが、19年6月のこと。(つづく)

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