「何が起きていたのか、わからなくなる」家の中で録音を始めた理由

――藤野さんはお姉さんの状況を記録するために家で録音をするようになったそうですが、それはいつ始めたのでしょうか。

藤野 1992年に僕が家を出る直前だったので、大学4年生の時ですね。

――お姉さんが統合失調症を発症した83年から9年が経過したタイミングで、なぜ録音を始めようと思ったのですか。

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藤野 姉の状態について、両親が「問題がない、正常だ」と言って病院を受診させなかったので、記録を残しておかないと、あとで何が家の中で起きていたのか、わからなくなると思ったんですね。

 当時はビデオカメラを持っていなかったので、大学の行き帰りに音楽を聴いていたウォークマンにマイクを付けて録音を始めました。

 家を出た後、2001年からカメラを回すようになったのも同じ理由です。両親に撮影を拒否されないように、ホームビデオを回すような感じで、自然に家族風景を撮影することを心掛けていましたね。

1992年、初めて家の様子を録音した時。姉は隣の部屋と私がいる部屋を行ったり来たりしながらしゃべり続けていた。父は姉の後をついて歩き、姉をなだめようとしていた。母は家の中にいたが、この時近くにはいなかった。時刻は夜10時をまわっていた。(イラスト:藤野知明) ©2024動画工房ぞうしま

「大変な事態になった」自宅の玄関に南京錠と鎖がかけられていた

――書籍では、2005年に藤野さんが久々に実家に帰ると、玄関に南京錠と鎖がかけられていたことが明かされていますが、その光景を目の当たりにして何を思いましたか。

藤野 「もう、一刻を争う大変な事態になった」と思いました。「また両親は法律を破ってるな」と。窓から出入りはできるので完全な監禁ではないにせよ、赤の他人が見たら警察に通報されて、新聞に載ってもおかしくない状況ですよね。

 両親が自分たちで治療をするという考えからも逸脱していて、「もう自分たちの手に負えなくなった」という証拠だったと思います。

――なかなか状況が改善しない中で、どんな思いを抱えていましたか。

藤野 こういう時間が20年くらい続くのが自分の人生だと大学4年生の頃に気がつきました。

 もう僕は結婚できないかもしれないし、姉も結婚しないだろうから、藤野家はもう断絶なわけですよね。それは別にかまいません。家名のために生きている意識は無かったので。

 それで「両親が亡くなった後は僕と姉とで暮らす時間が続くんだろう」と予測しました。それでも一番好きな映像のことを仕事にすれば、ただ我慢するだけの人生ではなくなると考えてきました。

――ご自身の将来や結婚についてはどう考えていたのですか。

藤野 学生時代、親しくなった女性に家のことを話したら音信不通になってしまったことが何度かあったんですね。相手を騙しているようになるのが嫌だったので、デートの1、2回目で話すようにしていたんですけど。そういうことがあったので、結婚して家庭を持つのは難しいだろうと考えていました。