「家の中が混乱を極めていて、危機的な状況」母は認知症になり、姉は症状が悪化
――その後、お母さんの認知症が発症するのですよね。
藤野 2005年頃ですね。母はもともとパソコンも使えたし、インターネットの契約も接続も自分でやっていたような人だったんですけど、だんだん「フロッピーディスクが使えない」とか、ネットの接続について「テレビのアンテナからくる」というようなことを自信満々で言い始めたんですね。
それで僕は「あっ、これは認知症かもしれない」と気付いたんです。父や親戚に説明しても、最初は全然信じてくれなかったんですけど、だんだん症状がはっきりと出るようになっていきました。
――どんな症状が出るようになったのですか。
藤野 母が転んで大腿骨にヒビが入ったのですが、手術を嫌がって病院に行かず、「自分で治す」と言い張って、1年間自室のベッドで生活するようになったんですね。おそらく閉じこもったことが認知症の進行を早めたんだと思います。
次第に「謎の男が外壁をよじ登って、姉に麻酔を注射しにくる」というような妄想を口走るようになっていきました。
――お姉さんのこともある中で、すごく大変だったでしょうね。
藤野 2006年から2007年にかけては家の中が混乱を極めていて、危機的な状況のピークでしたね。姉は南京錠をかけられて以降、外出できなくなり、お風呂にも入らず髪もベタベタで、周囲の状況に関心を示さなくなり「無為自閉」の状態に近づいていました。
話しかけても言葉が少なくなり、目線が合わなくなり、コミュニケーションが一層難しくなりました。
限界だった父を説得し、ようやく姉が入院することになった
――お母さんとお姉さんの身の回りのことは、お父さんがやっていたのでしょうか。
藤野 そうですね。母も姉も病院にかかっていませんでしたから、80代の父が1人で面倒を見ていました。ただその頃、僕が以前から姉について相談をしていた精神科医との間で、姉を入院させるための計画を準備していたんですね。
その医師とは前々から、母の状態が悪くなったタイミングで父を説得すれば、さすがにギブアップして姉の入院に納得してくれるかもしれないという話をしていて。
――自宅でお母さんとお姉さんの2人を看ることが難しくて、ということですよね。説得の結果、お父さんはどういう判断をしたのでしょう。
藤野 やはり父自身も限界だったようで、ようやく納得してくれました。姉には当時、内臓の疾患もあったんです。両親は、姉をどこの病院に連れていくこともできずにいましたが、姉の命のためには、両親は一刻も早く考えを変える必要があったわけです。
だから精神科の病院に入院しながら、内科でもひと通り検査をするという話をしたら「わかった」と納得してくれて。
それで僕と父で、認知症の状態ではありましたけど母のことも説得して、それから家族みんなで姉を説得して、いよいよ姉の入院が決まったんです。姉が発症してからの25年を考えると、信じられないような気持ちでしたね。
撮影=佐藤亘/文藝春秋
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