全滅するまで戦い、時間を可能な限り稼ぐ

——戦後で最も台湾有事の可能性が高まったときに、最前線に。

汪 高登島の位置付けは「アラーム」、警戒陣地でした。つまり、中国が攻めてきたときに最初に攻撃される場所で、増援も来ないし撤退も不可能。当時の私たちの任務は、全滅するまで戦うことでした。そうやって、後方の馬祖島や台湾本島が準備する時間を可能な限り稼ぐ。

——台湾の軍事筋によると、有事の際に金門や馬祖の防衛は不可能だといいます。台湾海峡が封鎖された状態では補給もできませんし、大戦中の日本軍の南洋諸島の部隊みたいになってしまう。それでも、任務は「死守」だったわけですね。

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汪 なので、映画ではそういう状況のもとでの軍人や家族の心情を描きました。もちろん、海軍や空軍、さらに政府が当時どうやって事態に対処したかのかも。これらの過程の最後に、私たちはなんとか総統選の投票ができた。結果、台湾には最初の民選総統が誕生した。そういう物語です。

往年の日本なら「靖国で会おう」に相当しそうなセリフは、台湾の場合は「忠烈祠で会おう」になる。忠烈祠は台北市内などにある国軍戦死者を祀る施設のこと。國際橋牌社の公式YouTubeより

——2022年8月、米国下院議長のペロシ氏が訪台して以降、中国は再び大規模な軍事演習を繰り返しています。一昨年と昨年は、それぞれ同年内に2回もやっていました。

汪 はい。物語は現在にもつながっているんです。私たちが体験した危機は、30年後の未来になっても……。だから、当時を振り返らなきゃいけない。台湾が一つの国家であることを決意して、みんなで敵に立ち向かった記憶を語りたい。

——汪監督の台湾政治ドラマ『国際橋牌社』も、1990年代が舞台です。

汪 私はこの業界に35年います。監督も二十数年やっている。台湾は約40年前(1987年)まで戒厳令があって、自由な創作は不可能でしたが、それからは自由に撮れるようになりました。ただ、「現代史や政治ネタは扱わない」が不文律だったんです。

 理由は中国の(映像)市場が伸びたことでした。多くの台湾人映像関係者があっちから呼ばれて働いていたこともあって、政治に触れることは「ビジネス的に愚か」という認識が強かった。でも、台湾は自由と民主主義の国でしょう? いけないはずがない。なので、私は過去10年来、このテーマを撮っています。