この出来事を、李奈さんは初めての成功体験だと語る。
「あの勉強の日々は、生まれて初めて何かに向き合えた瞬間でした。もしこの先やりたいことが見つかったら、きっと私はできる人間だと思えたんです」
「25歳の誕生日で辞めさせてください」看板デザイナーからの転身を決意したワケ
高校卒業後、彼女は新潟県燕三条にあるデザイン事務所に就職する。やりたいことが明確にあったわけではなく、求人票を片っ端から見て「ここだ」と直感で選んだ会社だった。未経験ながらインターネットショップのロゴや看板を作るデザイナー兼営業として社会人の第一歩を踏み出した。
職場の人間関係には恵まれ、自宅の近所にある商店街の人々とも仲良くなり、「コロッケ作ったから取りにおいで」などと声を掛けられ、よく可愛がられた。初めての1人暮らしで、地域に自分という根を張っていく――。その感覚は、「自立してるぞ!」という充実感に繋がった。
少しずつ自分の居場所が広がっていく喜びもあったものの、生活は決して楽ではなかった。初任給は手取り11万6000円。給料は徐々に増えていったものの、車を買う余裕はなく、最初の3年間は自転車生活だった。実家のある十日町に帰るときには、新幹線の駅に着くまで、自転車を45分も立ち漕ぎしていた。
そして入社7年目を過ぎた頃、彼女はふと立ち止まる。
ある時、学生時代の友達と一緒に遊んでいた。「今度ここのレストランに行こう!」という話になった。李奈さんは、すかさずその店の値段を調べ、「今月はこれを我慢して行くか」と頭の中で計算。しかし、その友人たちは、即答で「いいね。行こう」と答えていることにハッとした。
「周りの友人と稼いでる金額が違うだけで、行きたい場所、ほしいものを選べないんだって。会社に不満はなかったけど、それをすごく気にしてしまったんです」
それ以来、友人と会っても、自分らしく振る舞えなくなった。ここで彼女は、「楽しいだけじゃダメだ、お金も大事なんだ」と考えるようになった。
楽しくて、もっとお金を稼げる仕事がしたい――。思ったら即実行の彼女は、次に何をするかも決めないまま、会社に「25歳の誕生日で辞めさせてください」と相談。上司と面談して話し合ったが、彼女の意思は揺るがなかった。
「魚をさばく女性はかっこいい」からのひらめき
次の仕事を探すうえでの条件は、ライバルがいないブルーオーシャンであること、そして、日本一になれる可能性があることだった。
「例えば、グラフィックデザイナーという職業は、新潟県だけでもすごい人たちが溢れてて、自分の実力やセンスでは、数ある中の一人にはなれても、トップにはなれないと感じました。だから、まだやっている人が少なくて、日本で一番になれる業界はないかってずっと考えていたんです」
答えは思わぬところで見つかった。スーパーで買い物をしていた時のことだ。目の前を通り過ぎた若い女性が、鮮魚コーナーで切り身ではなく、頭のついた丸魚を買っていたのだ。それを見た李奈さんは、ふと「魚をさばく女性って、めっちゃかっこいいな」と思った。




