出臼(デウス)、肥料(フィイリョ)とは?

 カクレキリシタンには、名前にキリシタンという文字がついてはいるが、本質的にキリスト教と認められる要素はない。彼らはキリスト教とはなにかという、根本的なことからしてほとんど何も伝えられてこなかった。キリストやマリアについては、そういった神がいるということ以外、まったくといっていいほど何も聞かされてこなかったのであるから、知らないのも当然である。

 たしかに彼らが唱えているオラショの言葉の中に、イエスのことがゼズス、ジェジュス、ジゾーウス、あるいは御身様(イエス)がヲンメサマ、ヲミシロサマなどとなまって出てくる。サンタマリアは、マルヤ(丸や)やハンタマルヤ(丸屋)などという名前で出てくる。

 しかし、名前は唱えていても、それがどのような存在なのかはわかっていないのであるから、オラショを通してキリストやマリアに対する信仰が守り伝えられてきたとみることはできない。

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 230年の潜伏時代を経て呪文化してしまうのは自然のなりゆきである。潜伏時代にはオラショは暗記し、口伝で伝承されてきたが、伝えられたのは言葉の音だけで、言葉の意味はほとんどといってよいほど伝えられてこなかった。伝えようにも、宣教師が生き残っていたキリシタン時代の頃からして、民衆層はほとんどオラショの意味を理解できていなかったのである。

写真はイメージ ©︎AFLO

 口伝で伝えられてきたオラショは、おそらく大正時代か昭和の初め頃から備忘のために筆写されるようになったのではないかと思われる。耳で聞いたオラショの言葉を、そのまま片仮名や平仮名だけで書き写したものもある。それでは読んでもほとんど意味が理解できないので、筆写する際に、少しでも意味が通るよう、できるだけ漢字を当ててみようという努力がなされた。その当てられた漢字をみることによって、音だけで伝えられてきた意味不明な祈りの言葉が、どのような意味を持つと想像しながら唱えていたものか、その一端をうかがい知ることができて大変興味深い。

 例えば父なる神であるデウス(Deus)には「出臼」という漢字が当てられている。神の子たるキリストを意味するフィイリョ(Filho)にはなんと「肥料」を。サンタマリアには「三太丸屋」、洗礼を意味するバウチズモ(Bautismo)には「場移り島」、聖体を意味するエウカリスチア(Eucharistia)には「八日の七夜」、霊魂を意味するアニマ(Anima)には「兄魔」や「有馬」を、十字架のクルス(Cruz)には「黒須」、「黒瀬」といった漢字を当てている(生月島山田地区の手書きオラショノートより)。