あまりに未熟な犯行動機

 動機は、結婚を約束していた女性にフラれたことへの腹いせだった。

 若松は1943年、日本有数の豪雪地帯である山形県尾花沢市大字野黒沢に5人兄姉の末っ子として生まれた。1944年、2歳のとき太平洋戦争に出征していた父親がフィリピンのレイテ沖海戦で死亡。36歳で夫を失った若松の母親は、5反(約1千500坪)の田畑を耕しながら姑と4人の子供(長男は生後5日で死亡)を養う。

 若松は幼いころからおとなしい性格で趣味は機械いじり。学業成績は良く、本人も将来は船舶の無線通信士か電車の運転士になることを希望していたが、高校にやるお金はないと母親に言われたため、進学を断念。中学卒業後は山形市の大工に弟子入りする。親方との折り合いが悪いこともあり1年半ほど働いた後、実家に戻り、1960年8月末、17歳のとき同郷の親方が東京都保谷市(現・西東京市)で営む工務店の見習いに就くため上京。

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 真面目な働きぶりを認められ、1963年には見習いを卒業し、一人前の大工として月給4万円で正式に雇われた。

 1964年、新宿区西落合の4畳半一間のアパートでひとり暮らしを始め、二級建築士の資格を目指し勉強に勤しむ。生活も安定し、1966年には昔から憧れだった猟銃の所持許可を取り水平2連の散弾銃を購入。運命の歯車が狂い出すのが翌1967年の正月に帰省したときだ。