父親が犯罪者でさえなければ⋯
遡ること20年前の1947年3月、東京から来た母娘が若松の実家敷地内に物置小屋を借りて生活するようになった。もともと夫が尾花沢出身で、戦時中に疎開していたのだが、その夫が窃盗事件を起こし服役中に亡くなったため住居に困り、若松家の物置小屋で暮らすようになったようだ。
娘の名前は雅子といった。彼女は若松と同い年ということもあり、非常に親しい間柄となった。しかし、1950年3月、雅子の母親が亡夫の知り合いの大工と再婚することになり、母娘は山形から去ってしまう。若松は転居先を知らず、気にもしていなかった。
ただ、その後も若松の母親と雅子の母親は年賀状をやり取りしており、1967年元旦の年賀状で「娘が会いたがってるから遊びにおいで」と若松に宛てた一文があったことを母親から知らされる。そこで、初めて雅子が今、横浜市戸塚区に住んでいることを知った。
懐かしさを覚えた若松が彼女の母親に挨拶の手紙を出したところ、雅子本人から返信が届いた。そして、同年2月16日に20年ぶりの再会。彼女にせがまれて西落合のアパートにも案内し、東京駅13番線ホームから横須賀線で帰る彼女を見送った。以降、頻繁にデートも重ね、3月には若松のアパートで同棲開始。ほどなく2人は結婚の約束をかわす。
しかし、この話に若松の母親が猛反対した。父親が犯罪者というのが理由で、雅子は同棲中、若松に届いた母親からの手紙を偶然読んで、その事実を知る。父親が窃盗犯で獄中死したことも全く知らなかった。
手紙の内容に大きなショックを受けた雅子だったが、彼女の今の両親もまた結婚を望んでいなかった。というのも、彼女は18歳のとき、親からの指示で好きでもない男性と形ばかりの婚姻届を出していたのだ。