ともあれ、互いの両親に結婚を反対されたことで2人の関係はギクシャクしたばかりか、雅子が若松の同僚男性に悩みを相談するうち、その男性と恋仲になり、アパートから出て行ってしまう。
若松は許せなかった。結婚の約束を反故にした裏切り者に思えた。同時に何度復縁を迫っても断る雅子が戻って来ることは二度とないこともわかっていた。
横須賀線を狙った「驚きの理由」
ショックを抱えたまま日野市に転居した若松の頭に浮かんだのが、横須賀線に爆発物を仕掛けることだ。
実家の横浜に戻っていた彼女が交際男性とのデートのため横須賀線で東京に行く際、爆発騒ぎが起きたら自分のせいだと気づき会うのをやめるのではないか。極めて身勝手な発想だった。
ちなみに、後の雅子の供述によると「同棲していたころ、部屋にゼンマイ式のタイムスイッチがあり、押し入れの中には壊れたテープレコーダーがあった」そうで、鑑識課員が復元したタイムスイッチの写真を見せると、彼女は「これと同じものを見た」と証言している。
1968年6月16日13時半ごろ、若松はかつて雅子を見送った東京駅13番ホームに停車していた同45分発横須賀行きの電車内の網棚に15時30分に起爆スイッチの入る自家製爆弾を置いた後、電車を降り、そのまま府中競馬場に行った。もちろん、その車両が横須賀に着いた後、折り返し東京に向かうことも事前に調べていた。
やるべきことはやった。自分勝手な満足感に浸りながら、夜のNHKニュースを見て驚愕する。まさか、こんな大惨事になるとは。絶望で自ら命を絶つべく、レンタカーを海まで走らせたが死にきれなかった。