「女の子を3人も…」木原が抱えていた“唯一の懸念点”
19年8月5日、正式に「りくりゅう」ペアが結成されることとなったが、木原には唯一、懸念点があった。日本スケート連盟の小林芳子氏に報告した際、「でも1つ問題があって」と、こう切り出した。
「女の子を3人も替えて、変なやつだと思われませんか?」
時事通信運動部デスクの和田隆文氏の解説。
「木原選手は、高橋(成美)選手、須﨑(海羽)選手とペアを替え、三浦選手が3人目。彼は一途であることが普通だと考えていたのでしょうが、フィギュアでペアを替えるのは珍しくない。木原選手の誠実さが窺えるエピソードで、小林さんは笑いながら語っていました」
その約2週間後、2人はブルーノ氏の待つカナダへと飛び立った。ここから2人の“共同生活”が始まる。
カナダでの共同生活
ペア結成の約2週間後、2人はブルーノ氏の待つカナダへと飛び立った。ここから2人の“共同生活”が始まる。
2人が拠点にしたのは、トロント近郊の街・オークビル。当初、木原はアパートで独り暮らしをし、未成年だった三浦のホームステイ先から練習場まで、車で送迎をする生活だった。
「練習に使っているのは『Sixteen Mile Sports Complex』。リンクが4つあり、クリケット、水泳など複数のスポーツが出来る複合施設です」(連盟関係者)
平日の週5日、朝8時に練習場へ行き、まずはマットを並べてウォームアップ。リンクでの練習は、9時から約3時間行う。
練習環境は整った。だが、木原の身体には競技生活での疲労が蓄積されていた。そこで頼ったのが、冒頭(#1)のマッサージセラピスト、青嶋正氏だ。紹介したのは、木原と仲の良い元スケート選手の西野友毬だった。
「西野さんに『彼、身体が故障だらけだからなんとかしてあげて』と言われていた。でもすぐには来ませんでした。オークビルから診療所までラッシュアワーだと片道1時間半から2時間かかってしまうので、大変なんですね」(青嶋氏)
診療所の電話が鳴ったのは、約3カ月後のことだ。木原は1人で訪れた。
「木原選手の身体を診てみると、古い怪我がそこら中にあって、最悪のコンディション。『回復までちょっと計算が立たないくらいだよ』と伝えました」(同前)
「引退も覚悟した」「璃来ちゃんと出会って…」
すると、木原は前を見据えてこう話したという。
「引退も1度覚悟したし、名古屋でもスケートリンクでアルバイトもやっていたけど、璃来ちゃんと出会ってもう1回火が付いた。もう1回挑戦したいんです」
そして、木原への施術が始まった。
「本来は毎日来てほしいところですが、移動も大変。そこで施術の内容をすべて解説し、セルフケアできるように教えました。それを実践できない人も多い中で、彼は真面目にやってくれた。おかげで、想定以上の早さで身体の調子は良くなっていきました」(青嶋氏)

