当時の日記における「空白」
「御厨さん、もう思いきったらどうですか」
膀胱の全摘出を勧める言葉だった。
「部分摘出というのはないんですか?」
そう訊ねると、膀胱の場合はがんが広がる速度がはやいため、「自分は取ることをおすすめする」と担当医は説明した。
「僕の担当医は、ダメなものはダメとはっきり言う激しいタイプの人でした。お世辞にも優しい物言いではないので、怒る人もいるかもしれません。でも、私にはその明快さがよかった。何より大事なのは納得できること。お飾り風な話を真に受けて後悔するのが最も嫌だったので、バチッとものを言ってくれるこの先生に託そう、と決めたわけです」
御厨さんはインタビューの際、当時使っていた『不思議の国のアリス』の絵柄の日記をめくり、そのときの心境や場面を思い返していた。それまでびっしりと書き込まれていた日記が、術後の10日間ほどの頁は全くの空白になっている。それをしみじみと見ながら、「やはり手術はきつかったんだな」と彼はぽつりと言った。
では、治療に専念していたこの時期、御厨さんは「がん」という病にどのようなやり方で向き合おうとしたのか。そう聞くと、彼は次のように語った。
「がんが見つかってからは、もちろん不安でしたよね。手術で取れば転移はしないと言われていたけれど、膀胱がんで10年後も生きている確率を聞いたら、確か『50パーセント』と言われましたから。特に2年後くらいの再発が多いし、転移している可能性もある。そういう点で言えば、これは運を天に任せるしかないんだ、と考えたよね。その上でこれからどうするか。俺の命も有限であるんだ、ということを突き付けられてから、そのことをどう受け入れていくか……。それが問題だった」
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※本記事の全文(6000字)は「文藝春秋」2026年4月号、および月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(御厨貴「【膀胱がん】病と向き合って竹下登の気持ちが分かった」)。
短期集中連載 【前編】 がんで生まれ変わった10人 稲泉連(ノンフィクション作家)

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