■短期集中連載 がんで生まれ変わった10人
・大腸がん「打てば忘れる。でも、消せない不安がある」 原口文仁(元阪神タイガース)
・乳がん「がん家系だからこそ『標準治療』のメッセージ」 梅宮アンナ(タレント)
・胃・食道がん「保釈直後の闘病が『あきらめない』の原点」 鈴木宗男(参議院議員)
・膀胱がん「病と向き合って竹下登の気持ちが分かった」 御厨貴(政治学者)
・大腸・腎臓がん「二度のがん、妻のがん死を経験した専門医の発見」 垣添忠生(日本対がん協会会長)
自分自身が病と向き合うまで見てこなかったもの
鈴木宗男さんは胃の3分の2を切除する手術を受けた後、自身の“復活”を世の中に見せるためにマラソンを走ってみせた――。
文藝春秋社の応接室でのインタビューがそんな話題に及んだ時、政治学者の御厨貴さん(74)はしばらく黙り込むと、「それはね……」と言った。
「それは、おそらく本当に哀しい話なんだよ。鈴木さんは元気いっぱいが取り柄でしょう。だから、自分が政治家としてこれからも生きていくのであれば、そうやって走ってみせなければならなかったんだから」

政治史の証言を記録する「オーラルヒストリー」の第一人者として、御厨さんはこれまで数多の政治家や官僚の言葉を記録し続けてきた。しかし、8年前に膀胱がんを経験した彼はかつての仕事をいま振り返るとき、「自分自身が病や老いと向き合うまで見てこなかったもの」があるのだと話す。
例えば、後に『聞き書 宮澤喜一回顧録』となる聞き取りをしていたときのことだ。本人へのインタビューを続けていると、当時50代だった自分には「宮澤さんは肝心なことを喋っていない」という気持ちが消し去り難く残ったという。
「まとまりませんでしたな」
「でも、今は少し見方が違います。彼は喋らなかったのではなく、喋れなかったのだろう、と。僕は自分自身が病と向き合ったことで、彼の心情が想像できるようになった気がします。宮澤喜一といえば、ご本人も『俺が一番頭がいい』と思っているような人。自分の失敗話や上手くいかなかった話を人前で喋ることは、自負心が強いあの人にはきっとできなかった。老いに向き合う年になってからは、特にそうだったのだと思います」
あるいは、竹下登の場合は対照的だった。元気な頃の竹下は聞き手を喜ばせるために話を巧妙に組み立て、いわば「話を盛る」ことで場を支配していたものだった。だが、病に伏した晩年のその姿には、「回顧録に入れられなかった部分もいくつかあった」そうだ。
「あの明快だった話の時系列があやふやになり、同じ話を何度も繰り返すのではなく、同じ話を『違う話』として語ってしまうところがありました。本人はサービス精神で語っているつもりでも、こちらにはいろんな話の内容が混じり合っていることが分かってしまう」
そして、何より御厨さんの胸に今も焼き付いているのは、竹下自身が自らのその衰えに話の途中で気づいてしまう瞬間だった。
「今日のお話はまとまりませんでしたな」
彼は決まり悪そうにそう言うと、インタビューはそのまま「では、次回に」ということになった。その後、入院のニュースが流れると、御厨さんが彼と会う機会はついになかった。
「あの時の彼のつらさは相当なものだったでしょう。ただ、こっちが元気でいる時は話をしていても、『だまされちゃいけない』『弱ってきたからこんなことを言っているんだろう』と、僕は割と突き放して彼らを見ていた。ところが、いま自分が病と老いの中にいると、そこにあったはずの心の機微が見えてくるんですね。『ああ、彼もつらかったんだな』と。どんな人間もどんな権力者も、最後は振るってきた権力がなくなり、ある種の混濁の中で生涯を終えていく。政治家は常に『強さ』を演じることを宿命づけられています。有権者の前で、あるいは政敵の前で、弱音を吐くことは政治的な死を意味するからです。だから、彼らは自分の身体の衰えや病の苦痛を、言葉の端々に隠しながら生きてきた。彼らも闘っていたんだということが、いまの僕には実感として分かるようになった気がするんですよ」
御厨さんが膀胱がんの告知を受けたのは今から8年前の2018年3月、67歳になる年のことだった。その6年前に東京大学名誉教授となり、天皇陛下の退位をめぐる有識者会議で座長代理を務めるなど、メディア対応にも追われる忙しい日々が続いていた。
真っ赤な血尿に驚く
前年に天皇の生前退位をめぐる有識者会議の最終報告を出し、大きな重圧をともなった仕事が少し落ち着いたこの年、研究室のある東京大学先端科学技術研究センターのトイレで用を足した際、塊のようなものを伴った真っ赤な血尿が出た。驚いてかかりつけ医の診察を受けたところ、翌日には自宅近くの総合病院で精密検査を行うことになった。すると、担当医から「これはちょっと面倒かもしれません」と、泌尿器かその周辺のがんである可能性が極めて高いと伝えられた。そのとき、父親をがんで亡くしている御厨さんは、
「ああ、ついに俺にもがんがきたか」
と、どこか冷静にその言葉を受け止めたと振り返る。
「検査入院の結果、診断は膀胱がんで、惜しかったと。半年早かったら他の治療も考えられたけど、もうかなり来ちゃっているから、がん細胞そのものを取らないと、たぶんあっという間に広がってしまうと言われたわけです」

治療では膀胱を温存するために、まずはBCGを用いた膀胱内注入療法を勧められた。結核予防のワクチンであるBCGをカテーテルで膀胱に注入し、免疫力を高めてがん細胞を攻撃する標準的な治療だ。
「簡単にできますか?」
そう訊ねると、さばさばとした雰囲気の担当医は「簡単だよ」と言い、その日のうちに1回目の治療を行うことになった。カテーテルを「シュッ」と入れる際の痛みには我慢できないものを感じたが、1週間に一度のBCG投与8回を耐えた。
「担当医は『簡単』というけれど、この治療は本当につらくてね。翌日には必ずと言っていいほど高熱が出たし、同じ治療を受けている外来の患者さんたちも一人、また一人と減っていくんです。あまりの苦痛に耐えかねて、『こんなことをして本当に治るのか』という疑念に負け、治療を諦めてしまうんですね。その意味では私は優等生だったと思います。どうしてこんなところに来ないといけないんだ、本当に治るのかと心では思っても、それを医師に対して口にすることはありませんでしたから」
しかし、結果的にBCGを用いた治療は思うような効果が得られず、2カ月後の診察の際に担当医からこう言われた。
「御厨さん、もう思いきったらどうですか」
膀胱の全摘出を勧める言葉だった。
「部分摘出というのはないんですか?」
そう訊ねると、膀胱の場合はがんが広がる速度がはやいため、「自分は取ることをおすすめする」と担当医は説明した。
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