銀座のあんぱんの老舗「木村屋總本店」を営む一族に生まれ、現在はフランスブーランジェリー「メゾンカイザー」を営んでいます。事業を営むまでの自分は、なんと世の中を知らない人間だったことか、と振り返って思うことがあります。
社会に出たのは1991年。まだバブル景気の余韻が漂う時代でした。幼稚舎から大学まで慶應義塾だった私は、5歳で始めたスキーが本業のような若者で、千代田生命保険(現・ジブラルタ生命)に新卒で入ったのもスキーの先輩の誘いがきっかけ。先輩の曾祖父が創業者の1人でしたから、「将来、経営陣に入れるかも」なんて下心もありました。
しかし生保業務に無知な私は、入社早々に簿記試験を受けることになり面くらいました。法学部出身で、簿記についての知識は皆無。そこで思いついたのは「頭のいい同期に寿司を奢り、カンニングさせてもらう」という戦略。ところが同期が思いのほか真面目で、「ご馳走になった以上は合格させる」とみっちり指導され、結果、一夜漬けで2級に受かってしまいました。子供の頃からこんな風に首尾よくピンチを切り抜けてきたので、正直言って世の中を舐めていた気がします。

しかし本当のピンチは、「メゾンカイザー」を起業してからやってきました。27歳で退職し、海外でのパン作りの修業の後、家業は継がずに起業を決めました。2001年に高輪に1号店を開き、フランス仕込みの硬いバゲットがじわじわとお客様に受け入れられていった。そこで試練となったのが、04年のコレド日本橋への出店です。
コレドは日本橋エリアの再開発の中心となる鳴り物入りの商業施設で、出店資金として1.5億円が必要でした。当時の年商はまだ3億円足らず。とんでもなく大きな投資です。生保時代のツテを頼って都銀に行くと、「身の丈にあった金融機関とお付き合いになったらいかが」とけんもほろろ。最終的に中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)から融資を受けました。
巨額債務とともに乗り出した日本橋店は当初は絶好調で、単店舗の月商が3000万円に達しました。ところが半年もすると売り上げが目に見えて減り、気づくと月商400万円ぐらいに落ち込んだ。返済計画が狂うどころか、ここまで減ればいつ資金がショートして会社が潰れてもおかしくありません。真新しいコレドの建物を見上げて「いっそ上層階から身を……」なんて思いがよぎる日もありました。
殺伐とした店舗
月商3000万円の時も、あぐらをかいていたわけではありません。むしろ、朝5時に出社して深夜零時に帰宅するような日々でした。でも、良いパンを作って売ることに没頭しすぎ、「人のマネジメント」ができていなかった。日本橋店には30人ほどスタッフがいたのですが、知らないうちに派閥が生まれ、雰囲気の悪い職場になっていました。みんなトゲトゲした気持ちで働き、取引先業者さんの電話を「うるさい」と言って切る人もいた。うちのパンは安くはありません。お客様は単にお腹を満たすためではなく、ある種の幸福感を求めて来ています。なのに殺伐としたお店では嫌がられる。これが客足急減の原因でした。
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