給湯器工場の製造工員として働いた日々
僕は聖心ウルスラ学園高校から社会人クラブチームの倉敷オーシャンズ(三菱自動車倉敷オーシャンズ/現在は企業登録)でプレーし、巨人に入団しています。これまで就職活動をした経験は一切ありません。ただ、社会人時代は三菱の工場で働いていたので、「まずは工場で働くのがいいかな?」と考えました。
さまざまな仕事について精通し、アドバイスを下さるハローワーク職員の方には感銘を受けました。こんな人がいるから社会が回るのだなとわかりましたし、納得のいく仕事を選ぶ大切さを学べました。
そのなかで僕が働きたいと考えたのが、給湯器を製造する工場でした。
いざ面接を受けにいくと、面接官が履歴書の「読売巨人軍」という僕の前歴を見て「えっ?」と声を上げました。
「巨人の選手だったんですか?」
「はい、9年ほどいました」
その後は仕事の話そっちのけで、巨人の話題が続きました。すんなりと面接をクリアし、「あぁ、プロ野球選手ってすごい職業だったんだな」と実感しました。
工場は朝8時に始業し、休憩を挟んで17時まで働きます。時には残業をする日もありました。三菱の工場で働いていた時にネジを締める作業は得意にしていたので、「いいね、速いね」と褒めてもらえました。
普通の人より体が大きかったこともあり、年下の職場仲間から「何かやってたんですか?」と聞かれました。野球をやっていたと答えると、草野球に誘われました。
初めて草野球をやった時、みんなから「めっちゃすごくない?」と驚かれました。
「一応、プロでやってたんだ」と伝えると、その噂は職場で広まっていきました。でも、すべての人が野球を好きなわけではありません。僕は経歴ではなく、自分の仕事ぶりで周りに認めてもらいたいと考えていました。
プロ野球選手の頃から見て学ぶ術、やって学ぶ術が身についていたので、仕事も早く覚えられました。工場は7つほどのラインに分かれているのですが、先輩の仕事を見ながら「これとこれは一緒だな」などと覚えて、どのラインに入っても仕事ができるようになりました。
そのうち、「休みが出たから田原さんはこのラインに入って」「人が足りないからこっち入って」と重宝してもらえるようになりました。工場長からは「あんたに休まれると困る」と言われました。巨人でも工場でも、僕は変わらず「便利屋」として自分の居場所を見つけられたのです。
本当にいい職場でした。僕よりひと回り以上も年上の方が、「昨日の日本シリーズのあの場面、どうやった?」などと野球の話題を振ってくださいました。僕が自分なりの考えを話すと、「やっぱり見る視点が違うねぇ」と褒めてくれました。
こんな日常会話をしているうちに、僕はどんどん野球がしたくなってきました。いつしか、野球への嫌悪感があとかたもなく消えていたのです。